広報かつら 第19号 1963(昭和38)年 1月
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広、 報 か つ ら 由和38年1月1日 (1) プ欝ユ 9号 川=llll州Ill†l111…州…州Iltll馴l…州………川……川…………ll刷m111日mtl川州境 澤 ‖汀 二.1 胆型一〒八年一月一日 (窮十九号) 発行所 東茨城郡種村役場 発行人大 京三千三 田刷斬 新いばらき印刷居 正 賀 村県民不党 3期 国民健康 保 険税 4期 納期 日召禾口38年1月31日 完納で築<住みよい我が郷士 1 9 6 3 ≡ 昭和三十八年一月元旦 蒜r繭宗it㌫触酬‖■■■■■■■■…‖……■…け-t‖‖…‖…t■…■■‖………… ○帽薫数一九〇 〇沿革の大寒 1、即Ⅱ川沿六年七月七日、開治 五年学制載相当霜靂は、文 武の指呼場であったが、畢昭治 六年七月七日碓化小学校と称し て創Ⅱされた。教員数二、帽琵 数K十完竺学区は北方、高久 撰根、宕船、紡、市野、春闘の 七ケ村の軍令枚だったもので、 県下でも創Ⅱの古い学校である 2、…抑宿八撃一▲月、北刀小学校と 孜称 ○校 名 ○所在地 ○校畏 〔薮 頭 ○職員数 ○学報数 種村Ⅱ北刀小学粗 北方}阿八一のl 巽i寺rJ 石域雲ハ方式 網引 晃 細質 俊肌 、、\ 山/ 六 3、師資九年十二月北方尋常小 学紗と改称 4、朋沿四±一年二月、現在の東 校舎が新築される。 5、昭利土ハ年四月、北方国民学 称と故称 6、昭利二十二年四月、新学制に より新刀小学称と凄剰 7、旧型」十七年五月、茨城県教 育委員会より健康教育指定枠と して二万年の研究をつづける。 8、昭利二十八年十二月、完全給 食第確 9、昭型手玉年一再、教室m研 旅設をなす。 ○今拶の問題 当称は郡討の舶く、創立九+年 の摩風をもち、しかも創見以来、 こく関の記録をもってい脊砂舎 は五+年以上の限過年数のため鰐 朽著しく、哲筑上支障が多いので 改築は照眉の急である。 D北方古墳について ○腫代校長 1 関・6 つ山 当校の燕北隅に露出している古 墳は、石棺の阿部構造、賛掲(せ んどうn古賀の【∧口〕の鮮やかな ことは、覇胃学上質竃な追跡であ る。これの維持保存は文化財保護 の上からも雷雲な課塩である。 種村の皆さん、おそろいでお元 気に新年をお迎えになられたこと を心からおよろこび申し上げま す。 作年は種村が新らしい村づくり に踏み出して以来寂後の仕上げで 同期附とも申すべき基礎的な軍備 に努刀した年でありましたが皆さ んの熱心なご協刀によって順調に 進んでまいりました。 まづ懸案の統合中学校の敷地が 決定し、中学校の統合が行なわれ 校舎の新興H笥が始められたこと 次に郡内県道の改修が混められ水 戸宇都宮視の国道編入が決定し、 苛々鞘備されんとしていることひ 坪地域の氷遺が完成したこと、県 1R17ユ615ユ4131211109 8 7 6 5 4 3 クククク クククク f慣クプくクククク 〃 37353225222119171414104037351R13 軒頭のこあいさつ 、-●--、 ≡;金 晃好二∈臨 弓野国之励 m僻耳 巌 石川業}郎 関谷吏之介 梁胎 永司 関根 帝 大津 四郎 柴島 骨郎 久保閃 錯 余水車之介 二丹丁爪形中 下倉】」.r村 井朝 笹=粍≡丘弄り ≡ニ聡部員 協の統合を促塩し年末総会の決議 をみて全村一致の体制がつくられ ること、更に簡丁業を一丸とした 種村商工会の紆成をはかり経営の 合併化、近代化をはか盈講の敦 完を期する体型纂貰たこと等で‥ あり蓬す。 茶年は之等基礎的な程愉を終り 継締約革罫として成規変期待しな がらすすむべき得で統中は貌】期 丁寮監議し第二期工事窄め増し 今櫻三カ年を要する大軍諜であり 村つく㌢八づくhリの甚茶をなす文 教珊批の荒偶に野方を傾け環境の 圏愉窄写見ながら進めたいと存じ ます。また国、隕だの㌦乱倦も急速 桂村長 大 森 北山間飢帯として和牛産地形成敬 冒ぎして背光町外三力村によ瑚肝 牧一部番務綱合が成Ⅱし地城田農 協の讃産連合会の桔成と相供って 専業の開始をみたこと、農業詮と りまく諸情勢に対応し辟業振興の 担い牢としての農協規模の拡大革 僻をはかるため久しい悩みであっ た岩船村農協の再匙を含めた三恩 帽聖二入牢のうららかな初日 替迎え新村「かつら」費お餅恩 溶こス新にして村民の皆さんに部 苛の御挨拶を申し上げます。 昨年は皆様刀の絶大なる御協溜 〓〓〓≡【■一 三千三 に混める必要があり尊ノ。更に訝 牧笥窮は年内楼村だけでも八嘉 頭に及ぶ和牛導入をみましたが之 等を飼う草地造成と騨牧剤設の革 情が罠迫った聞毯であり蓮す。農 協合併も洪近し来る二月盲新紺 年頭の掩拶 種村議会議長平賀 義厚 こんど、わたくしが梓村数背衆 にとのお討をうかがった悍、あま りに㈲然のことであり、わたくし の酢康が簡一にゆるさぬばかりで なく、百らの財政的にも、また筏 学非才の身で、かよう雲霞の任 に供えることが到庶できないこと 庵とに多年の懸案でありました統 合中学相称築哲初めといたしまし て水戸⊥十都留間二級国運の昇格 常北、樺、御郎山及び七会一打三 ケ村より成る彗宗年主藤池とし ての一部尋常盟mの設Ⅱ、餌地区 に於ける簡易水道の実姉或は辟業 協掛開合の合併排撃試期飢専業 の実雅文は計画をみるに至りまし たことはまことに御同慶に軍産 いところであります。 然しながら現下内外の社会論情勢 と腰村の瑠況窄裏町いたしまする ときなかなか替易ならざるものが あり日に〓眉し決選と常倍を朝た にして新興村越のため献身せねば 、 合が層座す\娠乱雲幣 出て三年目折ん芝摘行される関連 法の実施に即応し櫛打として澄む べき方途を学兄憶がら誇業況代化 の助成も十分弱りスれ丁措用がで き地域購買振興をはかりうるため には合併躍協の育成弛化機純充実 をはかるべきであめ近く当然行な わるべき農業構造改善の大専業の 基盤としこの役割哲輿しうるよう にしたいと考えます。 尚構造改善の}還として一昨年よ り調査されている那珂川揚水によ 新任の挨拶 種村教育長 関 一 変闘く却って、固くご間置申し上 げました。 しかるに村当局の腎さまより、 日下村の教育行政上にたくさんの 裸騒が侶帯しており、ことに村巻 あげての穴軍業である統合中学校 の問題もあり、このまま長ぐ空席 にしてひきのばしておれない現状 であるから、ぜひともこの間、且 って村のために奉仕してくれと、 たってのご要語でありましたの で、百分としても、これまでに何 等ふるぜとの日掛の村のため、お 役に且つことも出来なかったこと ならないと存ずる伊第でありま す。 即ち、政府の帯皮経済成長政籠は 農業の枝茶杓改革を要請しており 郡市と原村の所得桁詳の解潤もま た跨窯の基茶的改革なくしては到 底達成し得ない国家経塀横道の実 体にあのます。 茶村の地動的環境は現在まで農業 翠王体とした顔業形闇を構成して まいりました。おそらく将来も辟 業を中心とした「-村繁栄詭」哲 樹立して歩まぬばならないと考え られます。 ここに村政の目標と難題が開催に なってきます。そこで世界の牌業 と甘茶の膵業の阿轡密比瀕し国内 における茶村墓石実勢を知らね ばなりません。 近年あらゆる産業に生産性の同上 ということが言われております農 業もその将外ではありませんし る土地改良の築革も考えられます が之等は殊に村長の曽根万のご詳 解あるご協力にまたねばなりませ ん。 桂村は師代の延運につれで急速 に転換しっつあります。この際、 誰もが事をつないで横柄附にご支 援御輿刀下されば別途は閉るいも のと礪侶いたします。 あたらしい昭和三十八年を迎え 皆さんのご健康とご多額とをお祈 り申し上げて任頭のごあいさつと いたします。 象印しわけなく思っていましたの で、この際肖分白身の私情を一例 なげうって、愛するわが郷士のた めに、老のいのちのつづくかぎり をさぎげつくす覚悟になって、大 串なおつとめをお引きうけ申すこ とになりました。 ついては、こんごわたくしの念 願としては、正しく、関朗な、そ して親利的な教育のあり万をモッ トとして、臨幸の刀をつくしたい かくごでございます。 どうぞ村民の皆さまにも、この 整恩をおくみとり下さいまして、 大別なおギ前の教育のため、ちか ら足らぬわたくし詮ごべんたつ下 さって、せつにご協刀をお願い申 し上げる択筒でございます。 親任にあたって、つつしんで皆 さまへのご損拶といたします。 この間栃苗の経営形闇である原業 をどう発展させて行くか、これが 村政における現下切庸重要頚項と なっています。 茶村においては膵芽基茶法に示す ような経常規模の間接的拡大はす でに限界に近い第惜にあり、それ 密行なうことによってかえっで農 業の悪質阻草するおそれなしと しません。よって潅常規模の聞愚 はさておき十他の最嵐の生産性を 維持しながら、しかも労働生鮮性 の同上を成し遂げる方法を編み出 すことが必要となります。 ひるがえっで現下の日茶の成長産 業を眺めます膵、閉日の野栄に何 かしらの示唆を与ぇているように 牒えるのです。 即ちこれからの県評生産物ぼ努め て固形のまま売るのではなくして 労働生産性の同上によって之に余 分な労刀密m工産業湖の開発に注 スし郡丁労慣を得てしかも商品冊 からば岸業におげる七地生産性と 労働生産性の実情はどうでしょう かバロ茶韓諜の十刑生産性は世界 壁碧宗しております。 それに反し労働生産性は世界最低 位にあるのです。ここに掛崇の根 茶的間態点、言肇茫懲見れば解決 点がうかがわれる訳です。 構靡業はその不調利の代表的存在 であります。 坪甥耕作面餞は八反旗足らずでし かも四人以上の家庭を賄っている のです。 ● 桂村教育要員会零異に 関一民選任される 種村教育警貝教育長大越猿啓氏九 月末日任期満了に伴う役任警貝に ついては、+二月-日躊膵村簡会 に於て大字下阿野沢・関i氏が選 阻され、十二月五日教育長に新任 いたしました。 氏は多年鼎教帯卯に於丁摺躍され た方であり、△姦の種村教育行政 瓦にかけられる期待大なるものが あります。 ても決して他Ⅵ産業の分野に不利 をもたらすものでないというこ一J 哲知っていただく必要があります 山林謄凱利用の和牛生産地形成農 業のⅡ地名杵、即ち基盤革枇の土 地改良罫罪等の推泡はまさに訝業 近代化へのスター上フィンと言え ましょう。 原子力の即矧的紆用が明日の八軒 社会の隼狩琵を一変してゆくよ ぅに農村もまた都市形闇の生指様 式に移行し清まれた医粁厚生その 他の珊設が準えられて患誓もに 曳かな文化農村が誕生することで しょう。 そのためにはあらゆる前泡の万算 を正しい視野に且って掛足し私棒 附な努力をなすことです。 今年こそ畔地の琴看たらしむペ <私共議員一同堅く心に琴うもの であります。 どうぞ村民の皆様倍旧の新押詰と 御協刀をお願い申し上げます。 繋に皆機の御多牽を心から御祈幻 申し上げて年頭の御挨拶と致しま す。 慣を安定させ有利に流通機構にの せるべきでしょう。 そのためにぼ村内に郡工産業禰設 敬設けるこ占が必要となります。 農業の安定成長のためには実に多 くの問塩がありますが、そのlつ lつを殿菜新柄の再選済軍備等を 通じてたゆまず解決して行くなら ば必ずや彗束の間日に黎明が訪 れることを確信しております。 農協統合もその籠l歩であり行政 面と経済指導が緊密な連携のもと に京化した歩調で帝実に延むこ とです。 粛内原業の台数化及び関連耶工産 業の発展恨佃の蒜憲二業の新進 にもなるのだし、村予算の投スが 露点座業に奨申されることがあっ 、・l

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