広報かつら 第6号 1961(昭和36)年 9月
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(1) 第 6 号 か つ ら 昭和窟6年9月20日 移動国富餌のお知らせ 「ときわ号」県立移動副書館 は左記のとおり開設きれます 村民であれば経でも日由に算 出しを受けられますので御利 用下きい。 とき.十月十三日 午前九時から 九時五十分まで ところ 中央公民館前 、、“、恥-‾■、““仙““、‾‾“’“l 相月の納税 柑の統計(364.1現在) 軽自動車登録台数 総数 66う台(非課税除く) 昭和36年9月20日発行 (第6号) 発 行 所 東茨城郡桂村役場 発 行 人 高 須 鴻 三 村県民税 保険税 は 十月三十一 うOcc 90cc 12うCC 軽自動車 段別用 自動二輪車 非課税 うOcc 軽自動車 410台 2与台 台台台台 0仁ノ41 つ」4仁ノ l ■ 印 刷 所 方郡潮来町 社敬 文 館 _、、、“_」 一、六二C、000円が計上 きれました。 外に興農盟金貸付金一、二五 〇‥000円 筒あ水道事業特別会計繰出金 一、四四〇、.〇〇〇円等であ ります。 追加更正予算については称別 委員会に附託きれております △桂相国艮健康保険条例の一 県物 郡を改正する条例 地方税法の改正に伴う改止 であり軽自動車三輪、四輪 車等の税額の改正です。 △昭和三十六年度種村歳入歳 出追加更正予算 追加総領九、四五三二五八円 で紐予罪は五六、〇一七、三七 六円となりました。 追加の主なものは過般の集中 豪関による災害復旧費土木関 係」、五九三、五〇〇円産業 経済二、〇八四、八〇〇円で あり庚に産経費に於ては特産 村議 昭和三十六年度第二回定例村 振 山漁村掘興計画総合施設費 紺 、 既倉僻 興費七三掴、OUU円 簡 易 水 道 事 議会は八月十七日 招集開会きれ六日 間にわたり十四件 の重要案件を慎重 審議八月二十二日 閉会した。 附諸事件の内容は 次のとおりである なお簡易水道施設 事業に関する案件 については簡易水 道特別委員会に附 託きれ目下審議中 であります。 △種村税条例の一 昭和三十二年五月、硫合中 学校を堪設すべく.中学統合 促進委員会が発足して以来四 年有余、その間、会合を璽ね ること三十二回 あらゆる角 度から調査と研究をなし協議 を進めたが、なかなか位置の 決定迄には至らなかった。然 しながら調査と研究とは時々 尺、した現在に於ては、結論を 出す段階に釆たので.八月十 七日からの定例村議会に提案 し二十二日に統合中学.の敷地 は大字阿波山寺前七九九番地 部庵改正する条例 この改正は洪令に明紀きれて ありますのでその必繋がなく 改正しました。 △昭和三十六年度桂村国民健 康保険特別会計歳入歳出追加 予算 追加額 三六、周九〇円 筒用費その他に追加きれまし た。 △昭和三十六年度桂相国民健 康保険直営診療所特別会計歳 入歳出追加予算 医薬品その他の安弘に四七、 四〇〇円追加されました。 △鶏卵共同出荷促進資金借入 について 興農資金貸付金としで県より 借入れることを議決しまし た。金繭は一、二五u 0〇 〇円です。 △予算外義務負担について 農業改良資金を農業者が借入 統合中学校の 建設位置(蛸窮柵)決定ず 決る 外即ち沢山診療所附近主試決 を見たのである。 多年中学統合を望んでいた 村民の方々の善びもきこそと 察しちれる¢ 敷地決定起のの過程につい ては個人仙人において或はい ろいろ意見やら批判があろう かとも思われるが、統合中学 建設という大事業達成の為に 挙って御協力を切に曳んでや まない。 れるについて村が連帯して供 託するものです。 金額は二五七、五〇〇円です。 △簡易水道事業についてー △昭和三十六年度種村簡易水 道事業特別食計歳入歳出予算 △桂村岡身水道事潔給水条例 の設定について △桂村簡易水道施設分担金徴 収条例の設定について △簡易水道事業特別会計の設 定について 以上五件は特別委員会附託中 であります。 △桂村特別職の職員で非常勤 のものの報酬及び費用弁償 に関する条例の一部を改正 する条例について 災害等の場合各種調査に御足 労をお願いした雲合に支払シ 日当を定め七ものです。 △茨城県市町村職員退職手当 組合規約別表の一部改正につ いて 本組合に加入した市町村を認 めたものです。 △中学校建設について 本件については統中経週報骨 を読んでいただきます。 近時交通機関の罪遵漁業の 機械化はめぎましいものがあ 買入期 日 別価格 昭和三十六年産の米恕の政府 買入佃格が決まりました 農道 を 元とうりにしよう 1U月1ヒ11U月11日 9月30日 までのも の のの までのもまでのも 玄 一 4.449 」4.369-4.289 4.209 4.129 につ 4.369 4.289 4.209 4.129 4.049 米 4」169 4.089 4.009 ▲ 3.929 3.849 4.665 4.928 4.808 4.545 4.578 4458 りオート三輪テイラー等の運 搬車輌の機動化が目立って参 大山寺の開基は遠く平安朝初期即ち弘仁元年3月15日(西暦810)僧宥運が 大和より当地に至り開祖となりました。 本尊大日如来を安置し並に虫封守護神弘法大師御真蹟子育乾達婆王尊を 併置する真言宗の寺であります。 当寺縁起古文菩に依りますと天文年中大山之城主よりの拝啓によれば当 大山家一族は至極平穏無事なり戦歴輝しく万事予の為す事不可能な事は ない、一然れども唯一つの悩みは世継ぎの撫い事である。日夜愁惨に堪え ずこの上は神仏の加護をと大山寺に安座奉る婆三尊に祈誓せし処忽に嫡 男を得る事が出来ましたその思に報いんが為に弘法大師御真蹟の尊影を 修理し御大山寺維持の為香花の寄進するものなり且つ領内外を問わず近 郷の邑鼻老若男女を問わず造拝しその勝縁の功徳を温浴せよ予自ら書を 撰す大山因幡守源義勝天文十六年三月二十一日(後奈良天皇将軍足利義 晴の時下) 以来大山氏一族の信仰篤く然るに豊太閤滅し関ケ原の戦い次いで西軍方 佐竹家秋田移封に倶い秋田に移りました。 その後徳川家治下になりましても特に御朱印十九石を拝領しておりまし た。以来幾多の霜月を経た今日什物として仏像仏画等百余点現存してお ります。 (大山寺住職渡辺記) 上表の価格に俵装代として133円加算きれます。 りました。 そこで道路の幅員が問題に なります。主要道路はまず問 題克いのですが農道の荒廃は ひどく図面どおりの幅員のな い道路がたぐきんあります。 これではせつかくの樺械化も 役立ちません。 との点につき村議会並に濃 紫委員会より宣改善の繋望が ありましたので村では峯村一 致実施することになれ訂し た。芙掩の時期方法等につい ては駐在主任きんより連絡が あるはずですからその節は何 分の御協力を厭います。 温時に刈り取り乾燥が行なわ れる関係で胴割れ米や砕米が 多くなりやすいから、できる だけ昼間の直射日光はきけた 万がよいです。 普通栽培の小ねでは、落水 の時期をいつにするかが間層 です。落水は出穂後二五日ご ろが標準とされていますが、 土地条件いねの生育状況によ っても違ってきます。いずれ にしても早く落水すると冥入 りの不良、いもち病、眉葉枯病 などの発生が多くなり、.訂た 逆に遅れると成熟期が遅れて 倒伏、脱穀や乾燥、寡作をつ くる場合の作業が国難になり ますから落水の時期にも十分 な注意が必要です。 落水期を比較的早めてよい 場合は損田で水はけ困難なと ころとか.ひどい秋落阻など で、また遅らせてよい場合は 砂地や塩害を.うけた水田、い もち病発生のおそれがある きです。 山間部の冷水のかかるとこ ろでは、かけ流しや深水はか えつて害となりますから出穂 開花後は足あとのつく位に落 水してときどき水を走らせる 程度にします。 九月の濃憺■業 l川l州一■■■8■.11日Illl一昭Il=州Il‖‘q嗜 早期栽培のいねは刈り取り 期です。 茎や実は育べても、 もみの大部分が黄色に なつたなら刈り取るよ うに。やや.むすると茎 や繋が青いため刈り遅 れる憤向になるので注 して下きい。 意 l叩 乾燥にあたつては、高
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