広報じょうほく No.440 1999(平成11)年 1月
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ごあいさつ こんにちは、常北高校です。今 年から「広報じょうほく」にべー ジを設けていただけることになり ました。常北高校は県立ですが、 常北町・桂村・御前山柑・七会村 の1町3村の援助で「春園」に創 立されました。町立の小中学校と 違って、何となく遠い存在のよう に思われるでしょうが、地元の高 校です。 常北高校はどんな学校なのか、 今何をやっているのか、これから 何をやろうとしているのか、町民 の皆様に知っていただきたいと考 えています。このページを通して、 親しまれる町の高校になりたいと 思います。 最後になりましたが、耗面の提 供について、町長さんをはじめ、 町当局の皆様のご好意に感謝申し 上げます。 学校長 石 原 道 明 今回は、昨年11月におこなわれ た2学年の沖縄修学旅行を紹介し ましょう。 は る モ の … 11/1 学校→羽田空港→那覇空港 ㈲ →東南植物楽園一→恩納村 恩納村-・コース別行動 11/2 脚 (琉球村、沖縄記念公園など) 一→グラスボート体験→恩納村 恩納村→安保の見える丘→糸数壕 11/3 →ひめゆりの塔→摩文仁の丘 ㈹ →玉泉洞王国村→国際通り散策 11/4 ホテル→首里城公園 ㈱ 一→那覇空港→羽田空港→学校 アガイド(平和ネットワーク)と 半年前からスケジュールの調整を 驚き、感動したようです。 かでな 特に、嘉手納飛行場とぉ (ガマ)の見学は現地のボランティ この修学旅行では「平和の尊さ」 を肌で感じてもらうことを第一の 目的に、事前準備を進めてきまし た。生徒達は、さまざまなことに 修学旅行 修学旅行の日程 青い海・ひめゆりの塔・首里城 〜沖縄を訪ねて〜 √し 防空壕として使っていました。 まぶに ひめゆりの塔や摩文仁の丘では 熱心に戦争の体験談を読む生徒の 姿が印象的でした。 すっかり、戟争の話でしんみり して実現しました。そして戦時・ 戦後の人々の苦悩を肌で感じるこ とが出来ました。- 嘉手納飛行場ではその規模の大 きさと、日本人の税金が飛行場を 支えている事実に驚き、真っ暗な 「ガマ」の中に懐中電灯一つで入っ た時は、戟争中半年以上も飢えと 暑さに苦しんだ人々のことを想い、 胸が熱くなりました。「ガマ」を 知っていますか?自然に出来た鐘 乳洞のことです。戦争中はこれを 平和の集い(摩文仁の丘にて) したかと思いきや、そこは常北高 校生。ホテルの前に広がる海に服 のまま飛び込む、転んでけがをす る…・見ている引率者はハラハラ し通しでした。 修学旅行から一カ月が経ち、修 学旅行の報告書も完成。その中に は修学旅行を満喫した生徒の様子 が表れていました。心に残る修学 旅行でした。 (担当 宮内) とき 重みを感じた時間 ■適山田(開墾 一 ▼ 戦争を知らない僕は、最初観光 気分で楽しめると思っていた。だ が、3日目にガマに入ったときに 受けた衝撃はすごいものだった。 寧dよ十 錮 l ( ■ 4日間の沖縄修学旅行が終わり ました。私は行き先が沖縄で本当 に良かったと思います。天候に恵 まれなかったのは残念でしたが、 大切な思い出をたくさんつくるこ とができました。その中でも糸数 壕へ入ったことは印象に残ってい ます。暗くて足場も悪く、あんな ところで生活していたなんて、当 時の人達は困ることばかりだった のだろうと思います。私達が歩い ていた岩の下にも、まだ発見され ていない人の遺骨があると思うと、 戟争でなくなった方々が培った平 和を大切に守っていかなければと 思いました。 【次号のお知らせ】 1学年のスキー宿泊学習 丁月12〜14日・たかつえスキー 場)の報告をいたします。 ガマの内部はとても暗く、汗をか くほど蒸し暑い。戦争中はあんな 所に半年も隠れていたなんて聞く とぞっとした。 たった1時間だったが、平和の 重みをあらためて考えさせられた 時間だった。 平和を考えた修学旅行 鯉渕 貴子 (上古内) 広報じようほく

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