広報じょうほく No.436 1998(平成10)年 9月
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「書は人なり」とよく言われま すが、まさに「書」は、その人の 人柄や心などの表出だと常日ごろ 私は考えています。ですから、書 を習うことを志す者は、日ごろか 青柳先生に書の指導を受ける子たち 学習紹介 ら自らを磨くことを心がけなけれ ばなりません。 幸いなことに、古来から「書」 には樺書、行書などの数多くの 「古典」と呼ばれるりつばなお手本 みんなで生涯学習 ヽ 「書を心の友」と して 常北ふれあい塾町民尊挿 青 柳 清 ( 人 があります。 多くの先人たちは、それらの古 典から書の優雅さや美しさなどだ けでなく、作者の考え方や物の見 方なども自分の人生訓として、自 らを磨く手本としてきました。 なつめそつせき 小説家の夏目漱石は、絵もたく さん措いていますが、書にも深く のめりこんでいたようです。しか し、漱石の場合は、真っ白な紙に 向かって、自作の漢詩や心に残っ ている禅語等を筆でつづり、小説 の執筆で疲れた頭をいやすために 筆を執っていたようです。いろい ろな書の楽しみ方があるものです ね。 寸すり 私も最近、硯に向かうと心の安 らぎを感じるようになりました。 私の子供のころは、けいこごとが できる子はごく一部の子どもに限 られ、私なども家の手伝い等で筆 を執る機会はまったくありません でした。それが筆ぞ執るようになっ たのは、ある先生に褒められたこ り上うかん ととともに、良寛和尚のすばらし ⑳ い作品に魅せられたからです。今 おうぎし 日では、書聖と呼ばれる王義之の 書や名品で知られる小野道風の作 品などにも触れるようになり、ま すます毛筆が好きになってきまし た。 「書の楽しみ方」にはいろいろ あると思います。私のように心の 安らぎを求めて楽しむのもよいで しょうし、ポケ防止等のため、自 分の思うことを書き、楽しむのも よいでしょう。また、各時代各界 の直筆からその作者のイメージを 頭に浮かべ、その人物像を楽しむ のもまたよいものです。 さらに、古典等に親しんで楽し むこともできます。公家の清雅、 僧侶の謹厳、武将の豪快、芸術家 の酒脱、才媛の豊麗と言われる書 や個性の輝きを放つ書等を習いな がら楽しむこともできます。要は、 自ら書を楽しむという心をもって 習うことが大切ではないでしょう か。 書を学ぶには、いくつかの心構 えがあります。その主なものを挙 げますと、まず、休まず練習する ことです。1日でも練習を怠ると 手が震えて思うように書けなかっ たり、書の強弱や変化等がでなかっ たりします。ことに、書のような 実技を伴うものは、地道に練習を 続けることが上達の近道だと考え ( ています。 次に、多く書くこと、手本をよ く見ること、古典に親しむことを 心がけることが大切です。何を学 ぶにしても、たくさん練習すれば、 上達もそれだけ速くなります。書 も例外ではありません。人より上 手になりたければ人より余計に書 くことだと思います。 下手な人ほど、手本をよく見な いものです。書は手習いと言い、 手で習うものですが、日でも習っ ていることを頭に入れておくべき です。 さらに、よい手本、よい師を選 ぶことです。すぐれた書との出会 いは、その人の書や生き方を変え てしまうほど重要なものだと考え ています。 また、師から学ぶことは、手本 で学ぷ以上に大切なことです。自 分の目で本当の師を選ぶべきです。 みなさんも、何でもよいと思い ますから、これというものを見つ けて、勇気をもって挑戟してみて ください。きっと新たな道が拓け ると思います。「書」は、生涯学 び続ける価値のあるものだと私は 思っています。これからも「書を 心の友」として学び続けていきた いと思っています。 広報じようほく

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