広報じょうほく No.431 1998(平成10)年 3月
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2月23日、石塚小学校三村亮 一校長)で、町遺族会会長の所憲 章さん、副会長の木原俊英さんを 招き、「戦争のころのお話を開く 会」を実施しました。これは、3 年生児童を対象に、戦争の様子、 当時の家庭生活や学校生括などを 理解してもらおうと行われたもの です。 各クラスの児童会月、所きんら の悲惨な体験や毎日の暮らしぶり に、真剣な表情で聞き入っていま した。その後は、愛育会の方が作 ってくれたいも雑炊を試食 「お いしい」 「毎日では飽きちゃう」 など、さまざまな声が聞かれまし た。 この体験で、戦時中の生活や平 和の貴さを感じてくれたのではな いでしょうか。 「戦争は やりたくない」 石塚小児重体験談を聞く 戦争のお話を聞いて 三年一組 加倉井祐作 ぽくは、日本がイタリアやドイ ツとだけ伸よくしないで、世界全 部の国々と伸よくなればいいのに なあと思いました。 あと、戦争とうじは、かんそっ いもや豆を食べていたことをはじ めて聞きました。でも今は、いろ いろな食べ物があり、幸せだなあ と思いました。 ぽうくうごうは、ただ穴がほっ てあるだけだと患っていたのに、 ばく風がとんでくるから左右にも ほってあって、昔の人はすごいな あと思いました。また、昔は三年 生でも山へ行ってかれ木をとった りして、すごいなあと思いました。 域争で二十五万人なくなって、 ぽくは戦争をやりたくないなあと 思いました。 軍‡;▲ 調■ l三げ 休験談に児童のまなざしは真剣 戦 ;しとの話を聞いて 三年〓組 先腑 恵梨 わたしは、戦争の話を聞いてい たら、食べものもまずしく、家族 の人も死んでしまってかわいそう になりました。たたかっている国 につれていかれてしまった人は、 パンが少ししか食べられないので、 ねずみをとって食べたという話を 聞いてぴっくりしました。 話しが終わると、今度はいもぞ うすいを食べました。少しおいし かったけど、いっぱいのこしてし まいました。わたしは、たぶん作 ってくれた人が、少しおいしくし てくれたんだと思いました。戦争 のころはお米も食べられないので、 いつもおなかがへってかわいそう だと思いました。 ‾‾ モ繋乱 ■ 愛育会の皆さんガ「いも雑炊」を再現 せんそうのころのお話を同いて こ幸三組 添田 梓 学校で、せんそうのころのお話 しを聞く舎がありました。せんそ うのころのお話を開くと、くうし ゆうでたくさんの家がやけたそう です。それと、二十さいから五十 さいまでの人がせんそうに行った ことがわかりました。 昔のあそびもおしえてください ました。ドッチボールや石けりを やっていたそうです。なかには、子 もりをしていた人もいたそうです。 高がおわってから、ぞうすいの し食がありました。昔はあじつけ もないし、お米も今みたいに白く ないからおいしくなかったと思い ました。 わたしは、せんそうのころの時 代に生まれなくてよかったです。 この時代に生まれて幸せです。 ′.■ヽ ∃ 材 いも雑炊を試食。 「毎日食べるのは イヤ」、「思ったよ りおいしい」と反 響はさまざま せんそうのころのお話を聞いて こ毎四縦 横井 健太 ばくは、おじいさんたちにいろ いろおしえてもらったとき、せんそ うがなくてよかったと思いました。 もしそのころいきていたら、ぼく やともだちやおかあさんやおとう さんやいもうともしんじゃってた かもしれないから。今のじだいに うまれてきて、ほんとうによかっ たと思います。たべものも、むか しはおこめをめったにたべられな かったときいたとき、ぽくは、お こめやたペものは、そまつにして はいけないと患いました。もしむ かしの人がそんなことをしたら、 おこられると思います。 し食をしたとき、ぽくは、あじ がないなと思いました。でも、二 はいめをたべてたら、だんだんあ じのようなものがしてきて、いも をたべたらあまかった。でも、む かしはあまくなかったようです。 いろいろおしえてくれたり、た ペきせてくれてありがとうござい ました。 広報じようlまく

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