広報じょうほく No.404 1995(平成7)年 11月
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第1回「ふれあいの里星空観望会」を開催します 町の天文台であるふれあいの里天文台を無料開 放します。家族みんなで星に親しみ、土星や秋か ら冬の星雲星団を観察しましょう。当日は、甘酒 やけんちん汁などのサービスもあります。 ト日 時 11月25日(土) 17:00~24:00 雨天、曇天は延期 予備日 12月9日(土) ト場 所 ふれあいの里天文台 卜主 催 町開発公社 卜協 賛 北見天文同好会関東支部、㈱町観光 物産センター ト問合せ ふれあいの里管理事務所 ℡288-5505 ‾●‾‾■●●■‾● 「 ! (大山義勝が孫九郎に切腹仰せか けたが忠告されてやめたこと) 孫九郎は大山城に帰り、城主義 勝に小場城でのことの次第を報告 した。もともと短気な大山義勝は ひどく怒り出した。「小場氏の大 山家に対する何たるしうち。これ はこのままにしてはおけぬ。お前 がぬくぬくここへ帰ってくるなん てなんたる憶病者め。この場で切 腹せよぃとわめいた。日ごろのう らみの上に、今度の残念は骨まで 達し、額に青筋をたて、日に涙さ え浮かべるという有様だった。そ の場にいた和田越後、平沢丹後、 痴感轟 文.今 瀬 先 次さん 孫根大学、萩谷新左衛門たちが「殿 の心中察するに余りありますが、 ここのところは・」といさめ申し あげた。重臣のいさめにさすがの 大山義勝もだんだんと冷静になり、 孫九郎の切腹はとりやめになった。 しかし、大山家にとってこのう らみを晴らし、小場一族を討取る べ〈戦いの用意が始まった。まず、 Lゆめのすけ 家中の高久主馬之介、桧山介之進、 江幡尾張、大経信濃、松本越中、 線引鵜武井主水、平岡平太兵 しゆ ヽ 、、 内出雲、川野辺兵部、大窪土佐、 佐土平夫、上杉長門、斉藤九郎兵 みずの 衛、囁野源太夫、山崎新右衛門、 小瀬内藤之介、徳宿蔵人、宮内左 衛門、高堀庄太郎等を大山城に集 めて評定することになった。 「このたびは小場三河守が小さ なことを根にもち、小田部孫九郎 に無理な言いがかりをつけたのは 許せない。早速小場城へ押寄せて 討取ろうと思うがどうかノと城主 が仰せられた。するとひとりの老 臣が「これは思いもよらない仰せ、 小場城と犬山城は今は縁遠くなっ 岡 崎埋り衛 ■h t h ヽ 、’ 田 江幡民部藤井主水野上修 もん ( そ の② か 掃部、大多喜治衛門、岩 掛札甚蔵、加藤美濃、乎 中村信濃、小泉河内、河 をして早速城にかけつけるよう伝 達する 平沢 丹後㊥ 大経 信濃⑳ 高久播磨殿、大山内膳殿、仲田市 とうとうみぶんご 衛門殿、田代遠江殿、小林豊後殿はりま 山口播磨殿、阿久津信濃殿、清水 大内歳殿、根本弥兵衛殿、小堀五 もんど 三郎殿、関主水殿、安戸右京之介 殿、南条岩戸衛門殿、平賀新五郎殴、 高須伊太夫殿、桜井尊大郎殿、赤 いわみ 野崎小大夫殿、綿引石見殿、富田 だいじェう 大操殿、富田兵庫殿、田中源蔵殿、 富田修理殿、飯村出雲殿、川村雅 渠殿、飯村左馬殿、大座畑六郎殿、 まとい たち 藤倉兵部殿、的井万次郎殿、館甚 五衛殿」 たがもとは同じ佐竹から分れたも のであり、隣の城でもある。戟だ けはやめた方がよいと思うノと意 見を申しあげている所へ物見の侍 らが帰り、「小場城では家臣たち を集め、大山城を攻めるペく合戦 の用意をしている模様Lと申しあ げた。これを聞いて、「小場氏が その気なら大山でもやむを得ず準 備の外なし」ということになった。 まず、軍勢を催侃しょうと平沢 丹後が筆を執り次の文を書いた。 「このたび小場三河守はつまL ぬことによって当家大山に敵対す るということを聞いた。したがっ て、大山の人びとは急ぎ戦の用音紳 広報じょうぽ<
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