広報じょうほく No.403 1995(平成7)年 10月
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(瑠璃癒が小囁城之介と結婚) そのころの大山城主の大山義勝 は長男の義則に大評判の瑠璃姫を 嫁に迎えたいと思っていた。大山 でわ 氏の家来に小田部出羽という人が いた。小田部出羽の妻は石塚氏の 家来の桧山主水の娘なのである。 義勝はこれら石塚氏と関係深い人 たちに頼んでたびたび瑠璃姫を迎 えたいとの手紙を石塚に届けたが 何の返事もなかった。大山城主父 子はひどくがっかりしていた。 いっばう、小場城主小場三河守 の長男に城之介という方がいた。 この将来城主となる城之介に石塚 とっ け 囁 ー▲ ■ 化 はら 原の合戦そか② 文.今 瀬 義 次さん の瑠璃姫をお嫁に迎えてはどうか と石塚の元の家臣前山形三左衛門 という侍が思っていた。三左衛門 は小場の家臣の前小屋右京介国重 と相談して、天正二年十月に石琴 小場の両城主に結婚のことを申し あげた。すると、こんどは雨域主 とも早速承知して縁談は整った。 十一月には婚礼も事なく終わると いうはやさで縁組みが終わった。 天正三年の二月五日、瑠璃姫は 男子を出産した。やがては小場城 主となるべき若君に「朝日丸」と いう名をつけた。石琴小場の人 びとの喜びは勿論、お祝の便の者 は各地から数多く集まり小場城内 はにぎわった。大山家では内心う らみを持ってはいたが、佐竹一族 ということで出産祝に行かないわ けにはいかなかった。そこで、大 山家の家臣小田部孫九郎が出産祝 使者になり小場へ向かった。孫九 郎は小場城に参上し、いろいろな 贈り物をそろえ、麻のかみしもを 付けて、失礼ないようにしていた。 小場の城主も孫九郎をこころよく 出迎えて対面し、たくさんのご馳 走をふるまい、礼儀正しくもてな した。 /し (小田部孫九郎再び使者となる) 小場城主に若君誕生の歓喜はあ まりにもつかの聞であった。朝日 丸が病気になり、寺に病気快ゆを 祈り、また、よい医師にかけたか いもなく僅か二二二日ではかなく もこの世を去ってしまった。石塚、 小場の両家の欺きはこのうえなく、 悲しまない人はなかった。多勢の おくやみの使者が小場城に集まる ということになった。大山城では 小田部孫九郎を再び使者として小 場城に参上することになった。小 場城の人の中に小田部孫九郎とい くら う名前は「子を食べ、孫を食う」 とも言える名前の人を使者とする のは縁起が悪いことだとささやか れた。そんな時に孫九郎が小場城 内に入った。悲しみ欺いていた小 場城主は孫九郎が釆たことを怒り、 家臣の義勝という者が孫九郎を手 討にしようと刀を抜いて斬りかか った。孫九郎も血気の若者、刀に 手をかけ、義勝はいうまでもなく 城主までも討取るばかりの剣幕で あった。その場に居合わせた前小 屋左京が三河守殿に立ちふさがっ て押とめ、孫九郎には若侍たちが 押さえてその場をやっと鎮めるこ とができた。このことがやがて多 くの人のいのちを失う悲しい我と なった。 く だ さ い 那珂町町制施行40周年記念フェスティパル、 生涯学習フェスティノりレ(那珂町) 【那珂町町勢施行40周年記念フェスティバル】 ◆と き 11月18日仕)、19日(日) ◆ところ 那珂捻合公園 ◆内 容 記念講演(講師:野口不二子先生)/ 産直野菜の大特売ほか 【生竜臣学習フェスティバルinなか,95】 ◆と き 11月3日~5日 ◆ところ 那珂町中央公民館 ◆内 容 各種講座作品展示/バザー/生涯学習 講演会(ポール牧氏) ◆聞合せ 那珂町役場 雪空298-1111 お で か け ごぜんやままつり,95(御前山村) ◆と き 11月11日仕)、12日(日) ◆ところ 御前山村役場敷地内 茨城みどり農協 御前山中央支所 ◆内 容 芸能発表・演芸、模ま疑店、ゲーム大会 など 第6回「匠のまつり」(笠間市) ◆と き 11月2日㈹~5日(日) 午前9時一午後4時 ◆ところ 「笠間芸術の森公園」イベント広場 ◆内 容 笠間焼、農産物などの展示販売/笠間 焼体験コーナー/チャリティーオーク ションなど ◆問合せ 笠間市観光協会 雪空0296-729222 ←水戸地方広域市町村圏協議会- 広報じょうほく 10

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