広報じょうほく No.402 1995(平成7)年 9月
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虎感藤巻 文.今 瀬 義 次さん ヽ (佐竹氏と小場・石塚・大山氏に ついて) この諸にでてくる佐竹氏とこれ から分かれた小場氏、石塚氏、大 山氏についてごく短く話しておく。 清和天皇(九世紀中ごろの天皇) さだすみ の皇子に貞純親王というおかたが つねもと あり、▲その親王には経基王という 男子があった。経基王は天慶五年 (九二四).に朝廷から源の姓を賜 り、皇族をはなれて、御所をお守 りする武将になった。この源経基 から三代目が源頼義であり、頼義 の子に義家(八幡太郎)、義綱(加 茂次郎)、義光(新羅三郎)があ った。 なり 源義光の子が義業であり、義業 の子の昌義が初めて常陸国佐竹村 (現常陸太田市)に居住し佐竹氏 を名乗るようになった。佐竹氏は この昌義を大祖として次第に勢力 を常陸の北部でのばしていった。 佐竹昌義を初代として佐竹氏の十 あつ 代が佐竹義教(篤ともかく)であ のぷ る。義教の子義宣が常陸守護とな み り宗家を継ぎ、義教の子義窮が小 場氏となり、宗義が石塚氏となり、 義孝が大山氏となったのである。 この分かれたのは十四世紀である。 さりひめ (石塚義国と瑠璃姫) 土佐守宗義が初代の石塚城主で、 九代目が石塚義国である。石塚義 国は実に立派な大将で、神や仏を ( 尊敬し、人民には父母のようにや さしくしたので、人民から尊敬、 信頼されていた。義国は四十歳、 奥方は三十五歳になられた。ただ、 義国は子供の数が少なく、辰寿丸 という男子だけだった。これでは さびしいので義囲も奥方も子供が 授かるよう熱心に神仏にお祈りし た。殊に薬師さんの信仰はあつく、 薬師如来にお願いした。そのおか げなのか、永禄元年(一五五八) に奥方はみごもった。 「これこそ薬師さんのおかげで す」と義国夫婦の喜びはこのうえ もなかった。そして翌年正月に玉 のような女の子を安産するに至っ た。義国夫婦が特に信仰している 薬師瑠璃光如来の瑠璃を名にした。 瑠璃姫はこうして誕生した。 瑠璃姫は、義国夫婦は勿論、多 くの人びとの愛情を一身に集めす くすくと育った。大きくなるにつ れて、ちえほ人にすぐれ、その実 しい顔かたちはたぐいまれ、あの 唐の美人楊貴妃やわが国の松浦佐 与姫、小野小町にまさるとも劣ら ないほどである。そのう、キ詩歌 や音楽にすぐれていることはいう までもなく、槍、なぎなた、弓術、 馬術の武芸にも一つとして劣るこ とがなかった。なにもかも人にす ぐれた御生まれつきの姫だった。 ▽10、000円 水戸ヤクルト販売㈱ 代表取締役 赤木 昭様 ▽10、000円 様 常北町議会 じょうほくふるさとまつりで の特別賞を寄付されました。 ( おでかけください ◎第14国友部健康マラソン大会(友部町) ◆日 時 12月24日(目)午前8時~ て受付 午前9時30分~ スタート ◆会 場 友部町立北川根小学校(友部駅より臨時バスあり) ◆参加料 小・中学生 300円 高校生 1,000円 一般・親子 2,000円 ◆締切り 10月31日(州 ◆申込み・問合せ 友部教育委員会内 友部健康マラソン大会事務局 ℡0296-77-1101(内線236) ま ご こ ろ ▽トイレットペーパー 119個 冷を広げる全 代表 桑野 敬子 様 以上、社会福祉のためにお使い くださいと、常北町社会福祉協議 会に寄付されました。 ありがとうございました。 広報じょうほ<

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