広報じょうほく No.400 1995(平成7)年 7月
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族 凝感熱袈 正が 盗族を退治する 文.今 瀬 義 次さん 勝見沢のりうがいというところ に館(小さい城)+があった。今も 「勝見沢城」とよばれている。字 小屋場谷津の山の上に平らになら した地と土塁が残る。この勝見沢 城には加藤伯看守が住んでいた。 城主の加藤伯看守の兄弟の子に加 藤弾正という人がいた。 その頃は戦争があいつぐ乱世で 強盗が各地にはびこっていた。上 古内の時沢というところには小栗 四郎五郎という盗賊団のかしらが いた。このかしらを中心に七十五 人の者が一つになり強盗をしてい たので、人びとからたいそうおそ れられた。でも、この盗賊団にさ からう者はなかった。清音寺の和 尚はこのことをなげき、何とか安 心して暮らせるようにしたいと思 っていた。そして、それには豪け つのほまれ高い加藤弾正に頼む外 ないと考えて頼んだ。 加藤弾正は清音寺の和尚の頼み を承知して盗賊に立ち向かった。 小栗らの盗賊たちも弾正にはひと たまりもない。たちまち討たれ死 に、残った者はちりぢりになって 逃げ散ってしまった。古内の里も 静かになり、里人は枕を高くして ねることができるようになった。 和尚はお礼言上に勝見沢城に行き、 加藤弾正に会った。和尚は、「こ の前盗賊退治の時お約束しました /し 通り、弾正さまの放った矢の落ち たところをお礼のしるしに領地と してさじあげます。このあたり一 帯は全部寺領ですから…」と言っ た。「そう貴僧がおっしゃるなら 従いましょうJと弾正は言って弓 矢を持って城を出た。弾正は上古 内の一本松から東に向かって矢を 放った。大勢の人びとが見守って いる。失は飛んだ。そして下古内 り、久保から法師峯の広い土地を 弾正にあげた。 豪けつ加藤弾正のこの後のこと ははっきりしない。鬼怒川のあた りで討死したとも伝えられるが、 いつ、誰と戦ったのかもわからな い。戦にあけくれるあわただしい 時のことだったから…。 (主に「水府志科」による) …捌 保に落ちた。弾正は次には西 かって射た。すると、こんど 師峯に落ちた。和尚は約束通 茨城県健康科学センターでは、 漢方や鍼灸について理解を深め自 分でできる身近な健康法について 学ぶ、「暮らしの中の健康講座」 を開催し凄す。 ◆場所 茨城県健康科学センター 3階大会議室 ◆開催日時及び内容 8月8日(火)午後1時〜3時 漢方入門講座 健康講座の 開設について ヲ用炒邑画団串@虚損 整備闇虐藤野あ診配哲 (自家用乗用自動車などの主な改正内容) ☆日常点検の導入 ☆6か月点検の義務づけの廃止 ☆12か月(1年)点検,24か月(2年)点 検の点検項目の簡素化 ☆車齢が11年を超える自動車の検査期間の 延長(1年から2年) ◆問合せ 茨城陸運支局 ℡247-5 2 4 9 ′しし 8月29日(火)午後1時〜3時 つぼ健康法-講義を中心にー 9月12日(火) つば健康法-実技を中心にー ◆費用 無料 ◆問合せ 茨城県健康科学センター 教育研修部 ℡243-4171 広報じょうほく 14
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