広報じょうほく No.399 1995(平成7)年 6月
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「一‾■‾一‾′‾‾‾●‾′‾‘ l 八幡太郎源義家にまつわる話は 常北周辺に多い。その内容は地名 起こりに結びつけた話が多い。 0十万原 義家が十万の兵士をつれてこの 地を通過したという言い伝えによ って「十万原」の名がついた。 はちほ ○入 本 義家は兵士一万人について一本 の白旗をたてさせた。この時、八 本の旗がたてられたのでこの地名 となった。 長吉熱感轟 文.今 瀬 義 次さん 八幡太郎源義家に、 まつわる話 0石原八幡 義家が都から源氏の氏神八幡宮 の御分霊を奉持してこの石原にま つり、奥州平定の戦勝祈願したの が石原八幡社である。この神社は 乱世の時泥棒がかくれていたこと があるので「泥棒八幡」ともよば れるようになった。だが、乱世に 家のない人が夜つゆをしのいだの はこの神社だけではない。今もこ の地の人に大事にされている神社 である。 まL い 0増 井 義家がここにきたのは旧暦6月 の盛夏だった。日照続きで水がな く兵士も馬ものどがかわき苦しん だ。この時に義家は弓のハズ(幹 の両端)で石岩をつきたてたとこ ろ水が湧き出た。兵士たちは驚き そして大いに喜んで水をのんだ。 今でも増井鹿島神社の近くにこの 井戸は残っており、水が湧き出て いる。水がかれたことのないこの 井戸が「増井」の地名の起こりで ある。この増井は常陸七井の一つ と言い伝えられている。 やすと 0安 渡 家に反抗する」という話があった。 義家は用心していたが何事もなく 無事に通過し得た。安らかに渡る ことができたので「安渡」の地名 となった。 ○鎌倉坂 義家が十万原に来ていた時に白 い鳩が一羽飛び去った。これは幸 先よいと思い、家来の鎌倉権五郎 景政に鳩の行く先を追わさせた。 景政は白鳩の後を追って勝見沢ま で釆たがついに阜フしなってしま った。この土地の人に地名を聞い たら勝見沢だと答えた。景政はこ のことを義家に申し上げたら義家 は「勝見沢とは縁起がよい」と喜 んだ。 この鎌倉坂はとてもけわしいの で、明治に洞門がつくられた。 〇八幡久保 清音寺近くにある地名義家が 馬をかくしたくぼ地なのでこの地 名になった。 ○青山神社 義家は後三年の役の時に青山神 社に戦勝祈願した。そのおかげで 後三年の役に勝つことができたの で常陸の国の青山神社の分霊を出 形県にうつして建てた神社が山形 県東田川郡三川町青山の青山神社 という伝えが山形県にある。 (「三川町史」による) _t_l_▲lヽl_▲l_lヽlヽlヽlヽlヽlヽlヽlヽtl’lヽl■l_lヽlヽl_lヽ_t■lヽtj r 「このあたりに伏兵があって義叩 -.-.-.■.t.1.■.-.-.-.-.-.-.-、-、-....t-.-...こ■.-.-.-J 税務職月を採用するための平成 7年度国家公務眉採用Ⅲ種試験 (税務)を次のとおり実施します。 この試験に合格し、税務職員と して採用されますと、税務大学校 (全寮制)に入校し、約1年1か 月、大学水準の教養と税務職員と して必要な専門知識を習得するた めの研修を受けることになります。 研修終了後は各税務署へ配置され ます。 ◆受験資格 昭和50年4月2日〜昭和53年 4月1日生まれの者 ◆試験日 0第一次試験 平成7年9月10日(日) ○第二次試験 平成7年10月18日(水)〜10 月25日(水)までの間の指定 する1日 ◆受付期間と申込先 平成7年6月30日(金)〜7 月7日(金)までに、人事院 関東事務局へ ℡03-3214-1621 お邦ら税務職員(税務 大学校生)募集 ( ◆申込用紙の請求先・問合せ先 ○最寄りの税務署(稔務課) ℡231-4211(代) ○関東信越国税局 人事第二課 ℡03-3221Ⅰ3911 0人事院関東事務局へ 放送大学は、テレビ・ラジオ〔U HF(東京局16チャンネル、前橋 局40チャンネル)、FM(東京局 ワ1此、前橋局讐8肋)、CA TV(諏訪・甲府)〕を通じて自宅 で学習できる大学(教養学部)で す。 柑歳以上の方ならどなたでも入 学でき、1科目だけでも学ぶこと ができます。 ◆募集人月 全科履修生2、000人 選 科・科目履修生6、000人 ◆出願受付 7月15日(土)〜8月15旦火) ◆募集要項・問合せは次へ 放送大学本部 〒261 千葉市美浜区若葉 1 2-1 ℡043-276-51⊥l 〔24時間テレホンサービス〕 ℡0313580-4600 放送大学平成7年度 第2学期(相月授業 開始)学生募集)
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