広報じょうほく No.398 1995(平成7)年 5月
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小松寺を中興し、大きな業薪を 残した宥尊は、応永23年(141 6年)に小松寺を弟子のにゆ ずって那珂西の宝障院で静かな日 日を迎え送っていた。 だいじきフ このころ、水戸あたりは大株氏 の勢力が弱まり、江戸氏の力が伸 びていた。応永26年(1419年) には江戸通房が水戸城主となった。 ある日、水戸の殿様江戸氏が入 野(現上入野)でたかがりをした。 たかがりが終わって帰りの途中、 昼食をとるために宅睡院へ立ち寄 お寺にかかわる話⑳ ゆうそん 名僧宥尊の話 芸〓 胡熱感轟 文.今 瀬 義 次さん ることになった。一行は宝憧院に 立ち寄り、広い線がわにたかがり で捕えた獲物の動物を置いた。と ころが、侍たちがちょっと目をは なしたすきに宝瞳院で飼っていた 犬二匹がその鹿物をくわえて寺の 縁の下に入ってしまった。さあ大 変。侍たちはさわぎ出し、殿様に もすぐに知れてしまった。殿様は たいへんなご立腹で、犬を呼び出 して獲物をとり返そうとしたが、 犬は出て来ない。そこで殿様は犬 の飼い主でもある宥尊を呼びつけ て犬を呼び出させることにした。 殿様は怒り、刀を抜いており、今 にも切り捨てるという剣幕だった。 宥尊は、「犬は呼び出しましょ う。しかし、犬畜生のことです。 犬には危害を加えないでくださいぃ と静かにお衝いした。殿様は黙っ たままだった。宥尊が呼ぶとすぐ に犬は床の下から出て釆た。宥尊 は自分のけさを犬にかけて守ろう とした。だが、殿様は宥尊のお願 いを全く無視して、犬に切りつけ た。犬の悲鳴に宥尊は、「もうお 許しください。もしどうしてもと おっしゃるなら寺の外でしてくだ さい。寺の境内で生きものを殺す という妄フなざんこくなことは見 ているわけにはいきません。たと え殿様であろうと認められませんゾ と言った。宥尊の必死の願いも聞 き入れずに殿様は、「何を言うか。 ここはおれの領地の内だ。おれの 命令に従わぬ者は許さないノと言 って犬を殺してしまった。宥尊と 殿様は口論になった。その夕べ宥 尊は、「寺院の内で新都するよ うな殿では未が思いやられるピと 一宮尊ガ後に過ごした宝憧院(那珂西) 思い、暗くなるのを待って都珂川 を渡り瓜連の常福寺に入ってしま った。常福寺のお坊さんと親せき だったので頼って行ったのである。 宥尊のその後ははっきりしない。 今瓜連町中里の五翰の山頂に古い お墓があり、これが宥尊の墓とい われている。宕尊はこの人里離れ た山の中のこの墓の近くで、都珂 西の宝瞳院を見つめながら住んで いたといわれている。 (主に「常北町史」による) 和樹訝覿 (其の〓 大子永源寺を詠む たきふどうぜんしんひぎあ 滝不動全身春の日射し浴び さ 猪 野 はるい のひの天を括す 須 江 君 子 かがふきとう 人釆ては釆ては屈める蕗の董鈴 木 幸 子 寂光の中に裂郎卸ふ彗 じ†つこう 永 山 綾 乃 裁の裏でて鄭の郵郡つ 安 藤 美恵子 ひだま」べに 日溜りやぼうたんの芽の濃ゆ小 堀 林 三 にしみなく 森 島 保 子 ゆきむL ま そつもん ひさし 雪虫の舞ふ楼門の大庇 小 山 静 香 Lゆんてん こずえの おおいちょう 春天へ棉伸びゆく大銀杏 荒 井 頚 雨 跡すかの㌘掛 小 野 草葉子 留 ふれあい俳句

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