広報じょうほく No.397 1995(平成7)年 4月
19/22
じ▲うゆう 師の上着との出会い 小松寺を中興開山した宥尊(宗 俊上人ともいう)は那珂郡の出身 である。上岩瀬城主白石志摩守の 弟であり、また瓜連の常福寺の第 りようよしょうげいおじ 二世了誉(聖同)の伯父にあたる 人である。正平16年(1361年) に生まれた。 幼少の時に天台の寺院に入り、 仏法の教えを学ぶ心が強かった。 瓜連の静明神に百日のおこもりを お寺にかかわる話④ ゆうそん 名僧宥尊の話 その一 凝感轟轟 文.今 瀬 義 次さん した。おこもりの終る時に夢のお つげがあり、それにしたがって石 塚の薬師寺にこもり、祈りつづけ てひたすら修行に励んだ。ある時、 深夜に仏さんにお供えする水をく んだところ、つるべ桶いっぱいの 金が入っていた。宥尊は、「私は 仏法を求めて修行している身で金 などは欲しくない。一体、誰が私 の修行を妨害しょうと誘惑するの かノと、くみあげた金を再び井戸 の内に戻した。そして、再び水を 汲みあげたところ、今度は水とい っしょに「宥」の字が記されたシ キミ(樺)の菓が10枚余り入って いた。宥尊はたいそう喜び、ます ます修行に精を出した。 百日おこもりの最後の日、宥尊 の枕元に老僧があらわれ、「求法 の志があるならば浄瑠璃光寺の上 宥に仕えなさいゾと言って消えた。 これと同じ夜に上宥にも夢のお告 げがあった。それは、「上宥よ、 明日お前のところに客憎が来る。 お前はその僧を弟子にすべきだノ と言ってたちまちに老僧は消えた。 次の日、上宥は用事ができて外出 することになった。外出の時に昨 夜の夢が思い出されて、「私が外 出中にこの寺に一人の憎が来る。 私が寺にもどるまでその僧に待っ てもらうようにせよL。と寺の人に 申し渡した。 やがて浄瑠璃光寺に上宥の予言 通り客憎がやって釆た。客僧は宥 尊である。住職の世話人が、「お 客僧はどんなおかたか存じません が、院主上宥さまが、『私が寺に もどるまで待ってもらうようにせ よ』とおっしゃいましたのでそう してくださいゾと寺の内に入れ、 ていねいに客僧に接した。まもな く上宥が帰り、客僧に会った。「お 客はどんなわけがあってこの寺に 釆ましたかゾと上宥が言うと、「私 はおこもりしましたが、その最後 の日の夜に、貴僧に仕えまつるべ しとの夢のお告げがあったから参 りましたノと申しあげた。上宥は、 「ああ不思議なことがあるものよ。 私もあなたと同じような夢のお告 げがあったのですノとしみじみ語 った。上宥と宥尊の師弟の契りを 結んだのは二人の同じ夢のお告げ だった。 宥尊は器用でかしこく、学は人 にすぐれ、仏法を受けるに足る素 貿を十分に待った人なので、浄瑠 璃光寺の院主上宥は宥尊に後をゆ ずった。そして、上宥は泉(那珂 西)に寺を建てて閑居した。今の 宝睦院がこれである。上宥はそれ から3年後(1399年)になく なった。 で人ばうかんじょう 宥尊は上宥に伝法濯頂といって ■宥尊ガ開いた小松寺(上入野) ( 仏法を授け伝える受職の儀式を授 けられて浄瑠璃光寺三世となり、 後に小松寺を開山し、10余人の弟 子をひきいて教育、学問を振興し 仏法を広めた名僧となった。 (主に「願行流血脈」(小松寺蔵) による) ノ 広報じよう偉く
元のページ