広報じょうほく No.379 1993(平成5)年 10月
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8月詣日、コミュニティセ ンター常北で、映画「月光の 夏Lが上映されました。 太平洋戦争末期、20歳前後 の日本軍が爆弾を搭載した飛 行機や艦艇で、敵艦に体当り 攻撃を行った「特攻隊Lを題 材とした映画です。 ■この映画を主催した方々、 古から二人目ガ飯村登さん 映画「月光の夏」 上映 この映画上映を主催した、 城北地区「月光の夏」上映を 支援する全代表の飯村登さん から感涙にあふれるドラマ上 映への報告が届きました。 私どもが、去る8月未に開 催した、映画「月光の夏」上 映に閲しましては、町当局を はじめ、各種団体、城北地区 有志のみなさま方の、あたた かいご支援により、コミュニ ティセンターの大ホールを、 昼夜にわたって満席にすると いう快挙を成し遂げることが できました。 実に常北町の人口の10%以 上の方々に見ていただき、さ らに新聞、ラジオ、テレビ等 マスコミにも取り上げられて、 社会的大反響を起こし、ご来 場の方々に深い感動を与える ことができました。 私どもの当初の企画意図は、 十分に達成することができ、 主催者の一人として、こんな 嬉しいことはございません。 広報紙上をお借りして厚くお 礼申し上げます。 なお、この催しで生じた利 益金は、新聞社などを通じて、 北海道の災害見舞金として贈 呈しましたのでご報告いたし ます。 また、「月光の夏」を見て、 おふたりの方から感想が寄せ られましたのでご紹介いたし ます。 ◎大久保 尚 美さん 中学2年 上入野 -1-私は、この映画が終わっ た時、あとからあとからあふ れでる涙をおさえることがで きませんでした。戦争とは何 か、戦争とはどのような悲劇 なのか。それを改めて、いや 初めて私に教えてくれたのが この映画「月光の夏」です。 私は、この映画を知り合い のおじいさんにすすめられま した。おじいさんとは、増井 の飯村重夫さんです。もう3 年ほど文通をしていただいて います。コミセンで「月光の 夏」 の上映があるとチラシで 知ったころ、おじいさんの手 紙には、そのチケットが同封 されていました。私は、この 映画に興味があったのでとて も楽しみでした。そして当日、 胸をワクワクさせて会場へ行 ′ノたのです。……… 私は戦争を体験していませ んが、この映画を見て、絶対 に戦争を起こしてはいけない と思いました。そして、戦争 の知らない多くの人達にこの 映画を見てもらい、戦争がど れだけつらいものなのか知っ てほしいと思いました。 - ◎川 隅 美智子さん 主婦 上入野 ---私は「月光の夏」を見終 わって、その夜はとてもやり きれない気持ちになりました。 こんなにも切ない悲話があっ たかと思うと、日頃自分がだ らだらと生活しているようで 恥ずかしくなり反省させられ ました。 祖国のために命を賭け、出 撃して散って行った特攻隊男 達。その前日の隊員達の複雑 な思いがよく描かれていまし さいご た。なかでも、最期の夜、父 母、兄弟、そして故郷を思い 涙を流している場面では、私 はもう見ていて涙が止まりま せんでした。 一緒に見に行った私の娘は、 「おかあさん、特攻隊の人達 は、あんなことがあったんだ ね。この映画で始めてわかっ た。ほんとうにかわいそうだ ったんだねゾと言いました。 娘は、自分といくつも変わら ない若者達の姿を見て、きっ と胸を打たれたのでしょう。 また、同世代を生きた母親は、 「特攻隊の映画は、かわいそ うで見ていられないから行き たくない〕と言っていましたが、 一緒に行って見終わって「あ れは事実だったのよ、ほんと うにいい映画だったねノと話 していました。映画に刺激さ れて、しばらくは緊張した生 活をつづけてみたものの、数 もくあふ 日たてば元の木阿漕・…‥なが らもあの時の感動を忘れずに、 毎日を頑張っていこうと思っ ています。 人の命、愛、夢……すべて を失ってしまう戦争は、もう 絶対二度とあってはならない と思いました。そして、戦争 の悲惨さを忘れず、いつまで も平和な国、また世界であっ てほしいと靡います。 - 広報じょうほ<
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