広報じょうほく No.361 1992(平成4)年 5月
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私ごとで恐縮ですが、三男 坊が中学を卒業し、十六歳に なった昭和五十四年の春のこ とです。 「世界一周をやりたい」 と言い出しました。息 子は中学の夏休みに、 ヒッチハイクやサイク リングで日本一周をや り遂げ、日本の素晴ら しさを、肌で感じとり 次の目標に世界一周を 計画したのです。 人生なんてものは、 畳の上でも危険はある という気持ちから、私 も家内も息子を信じて 0Ⅹのサインを出しま した。それから三年間、息子 は世界各地で働きながら、四 十か図でさまざまな体験をし 分厚く膨れ上がったパスポー トを抱えて帰ってきました。 パリでレストランのボーイ ㌢ふきと空事・萩原茂裕 に潜り込んだり、中近東の動 乱の銃砲の下もくぐったりし たようです。 集体♯で轟じとる 〝まちづくりは人づくり〞 息子がアフリカに着いたと きの手紙の最後に、こう書か まちづくりの心を 次代に受け れていました。 『いまアフリカで一番必要な ことは、物やお金を送ること ではない。アフリカの人たち を助ける〝人″を送り出すこ とだと思います』 私はこの手紙を読んで、ハ ッとなりました。子どもだ、 子どもだと思っていた彼が、 「国づくりは人づくり」、つ まり、「まちづくりは人づく り」と実体験のなかから感じ とっていたからです。私はこ のことをこれまで声を大にし て叫んできました。だが、そ う簡単に分かってもらえない 場合が多いのです。 「まちづくりというのはね、 国や県からいかに金をとって くるかだよ」 あるまちの市長は、顔をしか めてそういいました。愚息で すら考える土とができた「国 づくりは人づくり」という命 題を、感じとれないでいるこ がせよう ′し とに悲しくさえなりました。 かけ声だけで づくりの視点が、子どもたち まさづくりを終わらすな こんなしごく当然のことが うまく運ばない理由は、まち や孫たちに反映していないか らです。 つまり〝いまの若い者は〞 〝いまの子どもたちは″とい う紋切り型の考えが障害とな っているのです。 まちづくりというのは、前 にも触れたように、すべて子 どもたちや孫たちへとつなげ ていくものだからです。とす れば、子どもたちや若者を信 頼しないで受け継いでいける はずがありません。 人生も、企業も、まちづく りも、すべて後につなぐため にあるのです。そのためには 若者たちを外見で判断せずに その心意気に目線を合わせて 見ることが大切です。まちづ くりとは、子どもたちや孫た ちを信顔し、わたしたちの心 を贈り届けることだといって いいかもしれません。 これほどもいらず根分けの菊 の首 加 藤 鉦 好 仰がれてばかり夜桜疲れけり 片 見 博 麦の穂の色を変えつつ風走る 中 村 孝 介 ポケットのふくらむばかり花 いそべ き よ 疲れ まるまると畑の蛙目覚めけり 阿久津 あい子 しじみ 鋭汁早き朝飼の箸揃ふ 飯 嶋 と み 空音し青し筍刻みをり 鯉 渕 寿美恵 種袋小さき命振って見し 桧 山 よ て 子に従ふことの粂しき春袷 瀬 谷 博 子 折れ竹のしんと釆てをり匂鳥 高 橋 芦 江 芽吹き山日課となりし散歩道 長 須 きみの 谷風に初蝶をはつとさらひて 小乱木 梅 日中は誰も出払ひ桃の花 飯 村 愛 子 広報じようほく

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