広報じょうほく No.357 1992(平成4)年 1月
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くったく 子どもの屈託のない無邪気 な心情や生活感が、素直に表 現されているこの歌は、音楽 と言葉がともに小気味よい躍 動感をもっているために、だ れもが口ずさんでしまうほど 広く親しまれています。 ふわりと空の高みへ誘いこ まれるようなところ、結びの 「風 風 ふくな しゃぼん 玉 とばそ」から呼び寄せら 二ころユ れる風の快きが何とも心地よ く、幼い心に戻ることができ 堺 しゃぼん玉 作詞 作曲 ます。 ところで、雨情、晋平とい う名コンビによって生み出さ れた『しやぼん玉』は、音楽 のもつ 〝不思議〞さを、強く 実感させてくれる歌の一つで す。 一説に、雨情は病で急死し た愛児をいとおしみ、その悲 しみからこの詞を書き記した といわれています。 ちんこん この鎮魂の心がこもってい るとなれば、曲のイメージは 一変してしまうからです。 しゃぼん玉と愛児とが一体 化した哀れさは、「消えた」 という言葉が4固練り返され ることによって一層切実に、 「風 風 吹くな」という言 葉からは、詩人の心の叫びと して、身につまされるものが あります。 しかも、晋平のつづったさ 野口 雨情 中山 晋平 りげない音の動き、軽い曲調 が、かえってそこにこめられ た重い内容を痛切に胸に響き 渡らせるのです。 このような歌の成り立ちに まつわるエピソードはそれと して、この童謡は、これから も長く歌い継がれていくに違 いありません。 それだけの大衆性を宿した 歌なのですから。 佐野 清 (東京芸術大学助教授) 憂慮 き二 梅見は俳句の季語では冬で しょうか、それとも春でしょ うか。歳時期を見ると、梅見 は春です。ところが、冬の部 たんばい にも梅がありました。探梅、 たんばいこう じ人ばい 探梅行、尋梅などとあります。 探梅とは、山を歩いて早咲 きの梅をいち早く見つけ ることで、用意された梅 を見る梅見や観梅とは違 うのです。何とも風流な 話ですね。 ところで、梅を見るの は梅見、単に花見という と桜を見ることです。 でも昔、花といえば梅のこ とだった時代があるようです。 日本に現存する最古の歌集 『万葉集』 (七五九年までの 四百年余りの約四千五百首な どを収録)には、梅の歌は百 余首、桜は四十余首でした。 これが『古今和歌集』 (九 ちょくせん 〇五年に勅撰) では、桜百余 首に対して梅二十首弱と人気 が逆転しました。 いまは観梅、花見とも人気 がありますが、グループや団 体などの企画旅行には、桜の 花は見ごろが短いので、梅見 がもてはやされています。 最近、狭い家にも自然を取 り入れようというので、若い 人が盆栽に興味をもちはじめ、 盆梅のファンも増えていると か。また、元気なお年寄りが 多くなり、梅林で吟行する姿 をする習慣をつけ、常に 自分の健康状態を把握してお きたいものです。 をよく見かけるようにな りました。いつまでも元 気で、趣味などを楽しむ には健康が第一。二月一 〜七日は、「成人病予防週 間」です。 定期的に健康チェック 広報じようほく
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