広報じょうほく No.357 1992(平成4)年 1月
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すればいい。また、カニにし ても、カニの研究所をつくっ て、カニをアピール(訴、え) したらいいと思います㌔ 『私は自分の住む町は小さく て、何もじまんするところが 作文が届きました。そ の一部をご紹介します 『ぽくは、大きくなっ たら、香住が観光客で にぎわうようにしたい です。それには、足も とにある、香住のとく しょくを生かしてどん どん発展させていきた いです。』 『香住町の有名な物を 強調することが大事だ と思いました。梨の博 物館をつくったり、梨 の街路樹をつくったり 「ふるさと香住塾」の講演を 聞いた小学生たちから私のも とに、胸がジンとなるような 日本ふるさと撃王事・萩原 茂裕 7日連続の「まちブくり教室」㊦ かなかったのだと思います。 東京をものさしにして、こ の町を見るんじゃなくて、香 住町をものさしにして、たく さんのいいところを知り、す ばらしい町にしていきたいで す㌔ 講演をきっかけに 町民の意識が変化 こうして、町民すべてが同 じ土俵にあがって、まちづく りをやろうと第一歩を踏みだ ない.と思っていました。 でも足元から見ると、じま んになるようなことが、たく さんありました。でも、つい 東京とくらペたり、大きな物 が目について、足元に気がつ まちづくりは 人づくりから Rする必要がある。 いけ そこで、香住駅にカニの生 す 費を設置し、また防波堤にカ ニの絵をペインティングしよ うということが決まりました。 また、香住町は、江戸中期 まるやま奪っき上 の代表的な画家、円山応挙の ゆかりの地でもあります。 そこで、〝応挙まつり〞や 〝応挙通り″をつくっては、 という話も検討されていると いうことです。 した香住町1人々の意識は 少しずつ変わり始めたそうで す。 「希望がわいた。香住町の前 途が明るくなった」、「若者 たちの間にまちづくりについ て、何かをやりたいという気 運が芽ばえ始めている。チャ ンスだ/」という声があがり だしたのです。 具体的には、カニについて もっと町民が愛着をもち、P 同じ物差しを もつことが大事 〝まちづくりは、人づくり から″と町民がこぞって立ち あがり始めた香住町は、いま 活気にあふれています。 人々の意識が変わったから でしょう。 〝どうなる、どうする香住町 け‥″と、それぞれが、まちづ くりへの問題意識と、同じ物 差しをもったことは、本当に 素晴らしいことです。 「ふるさと香住塾」も、住民 ベースで出発しました。 これから、このまちの努力 が一つひとつ実り、どんな香 りの花を咲かせるだろうか。 ′-1\ 広報じようほく

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