広報じょうほく No.354 1991(平成3)年 11月
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明治44年から大正3年にか けて、文部省は小学校の唱歌 教科書として「尋常小学唱歌」 全6冊を発行、『故郷』はその 第6学年用に収められていた ものです。 当時、ともに教科書編集委 員であった高野辰之と岡野貞 一が、作詞、作曲を手がけま したが、この二人のコンビに よる曲は、『故郷』 のほかにも もみじ 雪紅葉』や『春の小川』など が尋常小学唱歌のなかにあり 作詞 高 野 辰 之 作曲 岡 野 貞一 ます。 『故郷』は、数多い唱歌の なかでも、とりわけ広く愛唱 されてきましたが、その理由 は次の点に隠されているので はないかと思われます。 まず、当時の唱歌としては 珍しく、長音階の第四書、(フ ア)が効果的に使われている ことから、とてもやわらかな 曲調を生みだしていることが 挙げられます。 また、淡々と、しかものび やかに流れる三拍子のリズム は、文語体で書かれた歌詞の 語感にマッチし、豊かな叙情 を表現しています。 そして何よりも、その歌詞 とわ から「永久のふるさと」 のイ メージが自然と漂ってくると ころに、長い間人々に親しま れてきた秘密があるのではな いでしょうか。 私が、「永久のふるさと」 の イメージを求めて、作詞者・ 高野辰之の故郷、北信渡の豊 田村を訪れたのは、さわやか な風に新緑が揺れる5月半ば のことでした。 そこには、美しい自然とい うよりも、「日本のいなかの原 風景」とでもいえるような、 のどかで、どこかとても懐か しさを感じる田園が山あいに 広がっていました。 佐 野 靖 (東京芸術大学助教授) 腐 近の子は意外にもちつき ヽ に親しんでいるようです。 幼稚寓や保育園では、年末 の行事としてもちつきをする ところがよくあります。また、 地域おこしや商店街のイベン トとして、さらに、観光地の 旅館や民宿でも、観光客の参 加によるもちつきが盛んです。 かけ声を発しながらペッタン ペッタンとつくもちつきは、 いまは出し物的な存在になり ました。 また、最近では、真空バッ をした風習があったよう です。「昔は正月が近づ くと、もちをつくのが楽 しみだったけど、いまの 子はそういう楽しみを知 らなくてかわいそう」な どとよくいいますが、最 メ甘王 命管意 その昔、東京がまだ江戸で あったころ、職人たちが大八 車に、かまどやせいろ、うす、 きね、まきなどを積んでまち を回り、もちつき歌に合わせ て見振りも面白く、もちつき だ 12月は、援護を必要とする 人が家庭が明るい正月を迎え られるように、「歳末たすけ あい運動」が展開されます。 みんなで協力しましょう。 クになった切りもちや丸もち を買ってくる家が多くなり、 自分たちでついたもちを正月 に食べることが少なくなって きたようです。 もちつきのスタイルが変わ ったように、もちにまつわる 全国各地の風習も変わりまし た。かきもちやあられなど、 は、 昔ながらの保有方法も、 最近ではあまり行われな くなりましたし、残った もちを水に漬けて水もち にすることも、冷蔵庫の 普及で忘れられました。 しかし、正月を迎、え、 もちを食べるという風習 変わりがないようです。 広報じょうほ<
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