広報じょうほく No.345 1991(平成3)年 2月
10/14
花綱会短歌 かしの実の落つる音のみ聞こえ きて夕闇深く町は閉ぎさる 安藤 愛 育刈りを強ひられし減反田の株 は使命と思ふや小さき穂を出す 飯田 マサ な くちをわと化りたる君は別れ告 げ入りてゆきたり秋花叢へ 薄井 ひろ 今瀬 剛一 じっち上くみ 頼赤くして実直を実万両 加藤 鉦好 ふるさとに障子の自さありにけ り 片見 博 ピラカンサス水道管の破裂せり 原 勝男 寒鯉の背にも波紋の影が卦ぐ 中村 草介 堤防を越えてひろがる冬の波 鈴木きよし 錠剤の色冷たくて安静時 鯉渕寿美恵 ねぶかしる 日が沈む沈むと寒さ顔ばかり 姉の忌の夜はしぐれて根深汁 家こわす騒音絶えたる夕暮を木 犀の香の灰に漂う 台 枝 不美 ひよどり 鶴のうす墨色の羽根やさし温み 伝わるわが掌の上に 大畠 元宏 スズメ蜂の飛び交ふに怖じて草 取らぬこの夏の敷妙密林の如し 片見 和枝 や事■あい 一村を沈めしダムか山間にまぼ ろしのごと現れ消ゆる 川上千代子 羽石 次枝 だしぬけに鴨の声して年の暮 飯嶋 とみ 茜空明日へつづくコート縫ふ 飯村 愛子 太陽のあぎやかに出て霜枯野 瀬谷 博子 あまた 羽子板の数多の顔に売る顔も 小田木 梅 すく 外泊の湯豆腐きらきら掬ひをり 高橋 声江 イぐ■ 冬棒ふんわりと立つ大都会 鶴見 博子 風花や友美しく呆けてをり 桧山 よて 堤防を溢れ冬田の風となり 長須きみの ゆったり一と新年の川凍れけり ′.■\ 浅野 菊枝 火より火を奪ひどんとの燃え盛 t 汚しぶき飛び散る岩に木もれ陽 かけ の光やわらなり秋は深みぬ 島 愛子 綱棒に操られ居る絹糸は伸びき し陽ざしにきらりと光る 関谷 走代 霊水とあれば滝水汲みとりで飲 ね争 むに自と清められゆく 多田志保子 さらしゐ 清々と湧く水溢るる曝井に農夫 ら生き生きと青菜洗ひゐる 丹下 栄子 り 阿久津あい子 電話受く声もすがしく事務始め 渡辺 典子 はつ み 毒二bか冬 初御重槻も人も燃えたちて 安藤沙都子 きざ 熟兆す口きりきりと寒の水 吉元つる代 松とれてカランカランと又生き る 袴塚 末子 みつ葉切る子をつき敵す事もし て 竹内 幸子 病む顔は母にそっくり置炬燵 いそべきよ (城北句会選) ま ん じ 「まんじともえと降る雪」と いえば、縦横に入り乱れて激し 享令】 く降る雪の形容です。「卍」も ともえ 「巴」も、古くから紋所として 使われてきたデザインでした。 卍はサンスクリット語の「万」 の字で、インドの神にみられる 胸毛の形から起こった印とされ ています。仏教では、仏の胸に 描かれた吉祥のシンボル。地図 の記号としては、寺院の位置を 示します。 通常は左まんじ(卍)ですが、 かぎの向きが逆だと右まんじ「当。 ナチス・ドイツのマークとして 官営の風塵舎 県歴史館が 休館しています ▼休館期間 ○本館展示室 ~平成4年9月末日まで ○一橋徳川家記念室 野外展示・施設等 ~平成3年9月末日まで ト閲覧室は平常どおり開室し ています。 ト本館展示室は増築工事のた めの休館で平成4年10月に オープンの予定です。 茨城県歴史館 電 25-4425 み と も え て知られたハーケン・クロイツ (かぎ十字)は、右まんじのデ ザインでした。 とも と‘え 巴は「靭絵」とも書き、臆(船 尾)で水が渦を巻く形を図案化 したもの。また、弓をひくとき、 右ひじに付ける丸い革製の用具 「斯」の形や、模様からきたと もいわれます。 円形部分の数で「二つ巴」や 「三つ巴」をど、尾の部分の向 きによって「右巴」 「左巴」 の 別があります。「卍巴Lと一口 にいいますが、その姿形はさま ぎまといえるでしょう。 広報じょうほく
元のページ