広報じょうほく No.315 1988(昭和63)年 11月
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裏 は よ 口水をたたへて萩の家 羅桐会短歌 乙女座を共にする子と我ゆえに 価値観も遂は相寄るならん 安藤 愛 湯をつげば菩薩の御姿現るる茶 のみ茶碗を友の賜びたり 飯田 マサ 病重き君を見舞うと遠く釆て山 にかかれる白き雲見る 薄井 ひろ みまかりし人の誰彼思ひ出でて 涙ぐみ居り盆近き一日 大畠 元宏 吾が焚ける煙が包む量珠沙華 原 勝男 筆目のくっきりとありこぼれ萩 阿久津あい子 葉の実を一つ拾へば骨が鳴る 袴塚 末子 みちのくの空は重たしりんご園 飯村 愛子 育のりのばりっと音す秋桜 飯嶋 とみ 孫の手にバトンの渡る秋日和 桧山 よて 芋洗ふ母の鼻唄風にのり 小田木 梅 とうが、つし 嫁の荷が届くあたりに唐辛子 いそべきよ 一し一 行事ひとつ終へし安らぎに写経 †がた する今宵「無」 の文字の形態と 片見 和枝 とのふ 竹の寺かげりてもどる坂のみち 鎌倉山は夕映えの中 川上千代子 もくせい 宵やみにただよう甘き木犀に戸 をたてかねてしばし件ちいる 島 愛子 細やかに羽震わせておおやんま うかが 空にあるまま部屋を窺う 関谷 定代 ・- 馴染まぎる宿の駒下駄履きゆき て小指ほどをるこけし購ふ 多田志保子 母病みてコーヒー苦し轍鮒耐 瀬谷 博子 毛み じ 」痛 い人モ言 朱印帳に折り込む旅の紅葉かを 浅野 菊枝 何も無きところに群れて塵珠沙 高橋 芦江 華 し人わら 新藁にふわりと虫の如くゐる 竹内 幸子 毛うまく 久々の秋晴れ網膜ちかちかす 長須きみの 秋風にのらぬ口笛歯の白し 吉元つる代 のわきぐも 海までの径まっすぐに野分雲 鯉渕寿美恵 (城北句会選) 届きたる有りの実一つ皮むくに ナイフの先より甘き汁垂る 丹下 栄子 吊られたる梯子に乗れる電工夫 サーカスの如くゆれて仕事す 坪井きよ子 行きすぎて振り返りまた戻りき て最初み染めし釣りしのぶ購ふ 寺門 孝子 秋聞けて人ら行楽のプラン練る ひとり身のわれにかかはりもを く 滑川 信子 車窓よりさわやかな風受けにつ つ会津路を行くフ7ミリードラ イブ 萩谷登喜子 十一月三日は文化の日。昭 和二十一年(一九四六年)の この目に新憲法が公布され、 日本が戦争放棄宣言をしたの を記念して、平和への意思を 基礎とした文化をすすめるた めに制定された国民の祝日で す。 この日は昔の明治節と同じ 目をので、ご年配の方の中に は、明治時代に文明開花が始 まったのにちをんだ日と思っ ている方もいるようです。 文化の日を中心に、文化勲 章の授与式、芸術祭、国民体 育大会などが行われるほか、 各地でさまぎまを行事が催さ れます。 ところで、文化とは何かと 聞かれるとむずかしいのです が、この言葉はをんとをく快 い響きをもっているので、か って、わたしたちの身の回り 文化の日 には文化住宅、文化包丁、文 化鍋をど、文化という言葉が はんらんしたことがあります。 そして、最近は第三の文化 時代ともいわれています。ま ず、明治維新の文明開花、次 に戦後の文化国家建設、そし て、いまは経済優先から文化 優先の時代へ、というわけで す。 それにしても、ゆとりがな くては文化どころではありま せん。十一月は「ゆとり創造 月間」です。 昭和六十年十月十五日の経 済対策閣僚会議で、内需拡大 に関する対策として週休二日 制普及のために、十一月を「ゆ とり創造月間」とすることが 決められました。 この期間に全国縦断ゆとり シンポジウムが主要都市で開 催されます。 広報じようぽく
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