広報じょうほく No.311 1988(昭和63)年 7月
6/22
農業では生活ができませんので お金も必要になってくる。換金 作物の大きなものとしては、葉 タバコを中心とした農業という ものが、常北町農業の全体とい うような傾向が、昭和三十年か ら三十三年頃まで続いたような 気がします。薬タバコ中心の農 業という一つの山、昭和三十三 年以降今日までゴボウ、長芋と いう根菜を中心とした二つ目の 農業生産の山、というふうに受 け止めています。首都圏から百 キロ既にあり、築地の市場まで 一時間四十五分の距離を考、え、 今の消費者が要求するバラエテ ィーに富んだ農業生産を志向し ていこうではないかということ で生産者の考え方を集合しなが ら、これらの線を太いものにし 第三の山づくりをしていきたい と考えています。 農地も立派な生産基盤として 財産として有効に活用Lていか なければいけないと考えており ます。生活の条件とのかかわり 合い、土地の制限とかを明確に しながら、農業生産を後退させ 都市一プくりシンポジウム常北’88の会場 ない中で、より以上推進発展さ せなければいけない感じを持っ ております。 増田 兼業化の中で、就業者の四人 に一人が水戸に勤めています。 逆にこのような状況が地元商店 街にどのような影響を及ばして いるか商工会長の線引さんいか がですか。 パネラー 常北町商工会長 線引 和二氏 楽しく買物ガ できるまちに 常北町は、工業よりも商業、 サービス菓を中心に栄えてきた 歴史があります。水戸商圏の第 二次商圏を形成しているが流出 率では、五〇〜八〇%の中に包 含されており、商品稔合でみる と水戸への流出率は六三%と比 較的高い状態であります。 県北地方をマクロ(巨視的)的 に見ると、那珂川水系と久慈川 水系に分かれており、那珂川水 系は特に工業開発が非常に遅れ ております。このような現状で、 工業の中の製造業種を調べてみ ると、四人以上の従業員の事務 所は昭和四十五年で二十三、六 十年でわずかに四十二事業所に 増えたにとどまっております。 こういったことを背景に都市計 画の推進となりますと、まず街 区の集積を生かした都市づくり が必要なのではないかと考えま す。また、水戸市と隣接し、高 速道路のインターにも近いとい うインパクト(影響力)を、今 後は、大いに利用していかなけ ればならないでしょう。そうい う意味では住宅施策を踏まえた 公共下水道や文化施設、教育施 設などの社会的充実も必要とな ってきます。基本的には商工業 の活性化のためには、活気ある 経済の活力を をつけていくエ夫 常北町から水戸へ働きに出る 一方で、常北町に入ってこない のでは商店街の活力が出てこな い。 水戸へ勤務している人が 水戸で買物をして家へ帰るので は地元の購買力が低下してしま う。それでは常北町に働きに来 る人をどのようにして増やした らよいか考えてみる必要がある ( 町づくり事業が必要不可欠であ ろうと思います。近隣商業地域に は、住民のニーズに応えることの できる商業施設の配置と、楽しく ショッピングができる商業ゾー ンの整備が必要であり、いかに 人を引き込むかということが今 後の課題です。さらに、市街地 の都市機能を充実させ、人口増 を図り、雇用の場を確保するた め、工場誘致も積極的に展開す る必要があるのではないかと考 えます。 増田 広域的な立場から見て常北町 は今後、どういう形でまちづく りを進めていったらよいのでし ょうか。 佐藤 のではないか。つまり、経済の 活力をつけていく工夫が必要と なる。昔からある商店街の活力 をつけるにはどうしたらよいか。 車社会の世の中であるので、車 で買物に来る人が商店街で買物 できる条件ができているか、あ るいは、食べ物を楽しみ、イベ ントができることでにぎやかに なるのではないか、さらに、プ ラスアルファがあるか、それを 作り出すにはどうしたらよいか、 広報じようほく
元のページ