広報じょうほく No.311 1988(昭和63)年 7月
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二十一世紀を目指した都市づくりをすすめるため、六月十七 日、町トレーニングセンターでシンポジウム (討論集会)を開 催しました。当日は二〇〇名を超す町民の方々が耳を傾け、会 場内からも建設的なご質問がありまLた。 以下、その概要をご案内いたします。 ☆未来の〝常北町″の婆を描< ☆基調ノ講演 未来にはばたく都市づくり 都市づくりシンポジウム・常北88 , 水と緑の豊かな ふるさと常北 筑波大教授佐藤 守弘氏 常北町は水戸市、大宮町から 一本の道路で結ばれた台地上に 市街地が形成された歴史ある町 といえます。昭和三十年に一町 二か村が合併して誕生した町で かずかずの歴史的遺跡や文化財 が現存し、町の古い歩みを裏付 けています。また、地方交通の 要衝であったことを物語ってい ます。陸上交通に加え那珂川の 水上交通の要でもあり、菓たば ( この集出荷もなされていました。 大正十五年には茨城鉄道が開通、 農産物などの流通面での効用も もたらし、町産業振興に寄与し てきました。 人口は合併直後に比して千人 減となってけますが、県北の農 業地域に比べると減り方は緩や かであり、交通の優に恵まれて いたこと、地域産業に力がある こと、水戸勝田の通勤圏である ことの証拠ともいえます。 就業人口は昭和三十五年当時 に比して農林業従事は六六%か ら三〇%にダウン、兼業化と第三 次産業への流出がうかがえます。 こうした状況をふまえると今 後は、農業を基幹産業としなが らも別部門の産業振興に取り組 む体制づくりに迫られていると 思います。 このような観点から二十一世 紀を見据えると、ハイテク型の 緑の環境を生かした田園工業団 地、開発のための場所づくりや 石塚地区を中心とした商店街を 整備して人口の吸引率を高めて いくべきではないでしょうか。 産業、就業形態の変化は生活 リズムの変化となり、当然モー タリゼーション化による道路整 備や電化生活等による生活排水 処理問題が生じ、道路、ゴミ、 し尿を含め、上水道、下水道、 排水処理など、個人では対応で きない諸問題を町や県などの行 政により共通基盤として整備し てもらう。つまり社会的、公共 的に処理してもらわなければな らないのです。社会的サービス が不可欠の時代、それだけに町 役場と住民との関係が密接にな ってきたといえるのです。 だからこそ、これからの都市 コーディネーター(司会) 骨陽産業開発センター 事務局長 増田 泰彦氏 ☆パネルデスカツション 今・なぜ都市づくりなのか ( ◇ ◇ づくりを考えるときには、町民 の考え方、提言を反映させてい くべきなのです。 石塚地区を中心とした都市づ くりは、アンケートの結果によ ると排水、道路、子どもの遊び 場など生活環境の両に不満が高 まっています。きちんとした生 活環境をつくっていくためにも 都市計画が都市づくりの課題を 担っているのです。 広域的な幹線道路の整備、区 画整理を通しての安住化の促進 など、中心市街地の整備に取り 組むべきで、町役場と住民との 協力体制をつくり上げていく、 連携プレーが大切であることを 強調しておきます。 ◇ ◇ 歴史的景観が残る常北町をど のように展望していくか。これ から期待できる常北町を行政と 住民が力を合わせていかにつく っていくか、をお伺いします。 広報じょうほく

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