広報じょうほく No.311 1988(昭和63)年 7月
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竹落葉してその後の竹の幹 今瀬 剛一 冷奴あればこと足る佗び住い 荒井 頚雨 朝露をまとめ夏桑刈り込みし 加藤 鉦好 つゆヽとも 近江路や湖の彼方も梅雨灯し 片見 博 ひきだし 抽斗をあければ揺るる水中花 鈴木きよし 安藤 愛 煮上りしグリンピースは密を含 ひすい み薪翠のごとき光放てり 飯鴇 マサ おい 静峯に老婦等七人車座に持ちよ な り料理に桜花舞ひ散る 薄井 ひろ 、フ 麦の熟るゝこの広き原の朝もや をつきてさやかにほととぎす噂 \ 花柄短歌会 しろLょうぶき 自菖蒲労るには欲しき数なりき 原 勝男 野良へ出て麦藁帽のまぶしかり いそべきよ くき再・ 梅雨の夜の犬が鎖をひきずれり 袴塚 末子 ばち 薔薇咲いて伏すまでほそき雨降 高橋 芦江 れり ばくLゆう 麦秋に子が集めをり文庫本 桧山 よて 明日帰る夫より電話月見草 小田木 梅 ハリょくう 緑雨にて心すむまで祈りけり 飯村 愛子 たに 春情しむ万緑の洋へ旅ごころ 飯嶋 とみ 大畠 元宏 むずかればさよならもせず抱か れて乗り込む孫をわれば見送る 片見 和枝 うわさにわ とり壊しの噂俄かに拡ごれる団 かげ 地にヤプレガサ翳うすく咲く 川上千代子 こむち うつむきて木叢に咲ける、えごの 花倖せうすき女にも似て 関谷 定代 てんくう 天空の青き地球に人は生く争な くてあらましものを ′rしユ 皐おつ血 青梅雨に己が背筋の痛みけり 浅野 菊枝 し†くなげ 水鏡して石楠花の清らなり 長須きみの しっかりと光りたしかめ初螢 阿久津あい子 熟れ麦のむんむん風を待ちてを り 瀬谷 博子 ヽふ∴一- 帰省子に母の匂へる木の芽和え 吉元つる代 新じゃがを煮てやはらかな雨と 「. なる 竹内 幸子 夜となり花栗の香をもてあます 鯉渕寿美恵 (城北句会選) ユよ 島 愛子 ひとひらが散ればたちまち迫ふ に九∵も ごとく散るてっせんは庭面をう ずむ 多田志保子 あした 鏡にも都忘れの花をおき朝始め の髪整のふる 坪井きよ子 少しづつシワを伸ばして広ごり こちょうがた ぬ小蝶形せる銀杏若菜は 寺門 孝子 検診を待つ間童話を声あげて読 みいる母子に心和らぐ 「親子水いらず」「夫婦水いら ず」などの「水いらずLは、他 人をまじえない身内だけの人間 関係が、しつくりいっている状 態をさします。 「水と油」は、異質なものがま じって調和といえないケースで 水がはいらない同質なものだけ 丹下 栄子 みちのくの浜の旅情をよみがえ らせはまなすの花は我が庭に咲 く 滑川 信子 五月雨の恵みの雨が降りそそぐ 休耕の荒れ田目だつ視界を 萩谷登喜子 名を呼びて心臓マけサージする 吾息の願いは届かず愛犬逝きぬ 場合を「永いらず」というわ です。 水を加えて熱い湯をぬるくし り、漉い液体を薄めたりする きは「水を入れる」でなく「水 言葉の履塵書 水いらず をきす」という表現が使われま す。「水をさす」は転じて、口 出しをして邪魔だてする場合に も用いられてきました。 「水を入れる」というのは、 なかなか勝負がつかない長い相 ちからみ撲を一時休止させ、力士に力水 をつけさせることで、力のはい った「水入り相撲」は客席をわ かせます。 また、歌舞伎の「水入り」は 役者が舞台で本物の水に入って すけろくゆかりのえどぎくち みせる演出の幕切れで、助六が水を張った ほんみず 用水桶に入ると本水がザーツと こぼれ出るシーンは、観客にス リルを感じさせる見せ場となっ ています。 係では,みなさんからの投稿・投 句をお待ちしています。また,楽し い写真原稿も大歓迎です。どしどし お寄せください。お忙しい場合はご 一報ください。心はすませとんでい きます。 電88-3111内34 広報係 広報じようほく

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