広報じょうほく No.310 1988(昭和63)年 6月
8/14

町の東端那珂西の中央に」戸数一二三戸、人口約五○○人、ひばり台団地、塙団地を含む七つの自治会で構成している行政区です。区の中央を国道一二三号線が走り、束に清流那珂川を望み、水戸市、勝田市に近く非常に住みよい便利なところで、国道の両側に家並みが建ち並び、近年新居住者が増えつつあります。区内の職業を大別すると、専業農家一○%、兼業農家四○%、純サラリーマン世帯三五%、自営業が一五%となっています。サラリーマンは、町内をはじめ水戸勝田方面に通勤し、兼業農家の大部分は高齢者農業で、五○歳代から七五歳くらいの方々が農業機械を相手に頑張っています。農産物は米が主体で、山芋・牛考の生産も盛んですが、高齢化農業による低迷が苦慮される☆こちら那珂西二区営・篭・雲……富農電・・塚…嘗・:…1・…,倉…・冨墜富塚:言…資…:●篇豊………,豊骨●○組織活動が盛んな行政区ところです《)一方では専業農家の規模拡大、大型化の現象もみられ、畜産、ハウス園芸も盛んになってきています。また、近年企業の進出も目立区長森島好明っており、区内からの就労者も増えてきて、経済面でもその恩恵をうけています。さて区中央に鎮座する那珂西神社は、現在の水戸市八幡町の八幡宮が宝永四年に現地に移されるまで肥られていたところでその跡地に明治四十四年四月、春日神社、八幡宮、鹿島神社の三社を合肥して那珂西神社と称したと伝えられています。お祭りは三月、六月、十月の年三回行われますが、中でも三月十五日の春祭りに関しては区内J会を三か所に分け、全員が参華集して年中行事の計画が協ケ議されます。詞塙薬師は小さな洞がある的のみですが、六月十一日の燕お田植祭りは、現在も細々でと続いています。恥また区内には、高年者ク用ラブ、子ども会、中学生育銅成会、パパさんソフトなど一の組織があり、早朝練習や汐各種の奉仕活動、勉強会等セに励んでおり、最近、那珂雲西二区親子パレーボールク漢ラブも結成され、それぞれ毎活発な活動を展開していま日一・毎す▲ご婦人方の活動も盛んで、この度建設された一・二区集落センター」の婦人部や親子三世代コーラスグループなどは、集落センター建設中は献身的な奉仕作業に全力投球するなど、和気あいあいの中にも心豊かな地域づくりに大きく貢献しています。この集落センターも、由緒ある那珂西分教場跡地に、全区民の一致協力態勢により完成したもので自他ともに誇りうるものの一つです。施設の利用度も高く開館五ヵ月にして全区民が一回は利用した数にのぼっています。区内の史跡には「赤沢江」があります。約三百年前、頼房が築造した用水堀で、桂村から水戸市飯富に至る水田の水をうるおしたものです。一部原型をとどめているこの赤沢江を保守管理して環境を整備し地域住民の憩いの場とする事業もはじまり、いろいろな面で積極的な動きを見せている行政区です。今後は、道路の整備や耕地の区画整理事業などが大きな課題として残されています。06、△、、r’1季~-------マーマ五戸マ司一マーPー一Pマーー~----マ、一一一一ー一一一望Z'=三三■|蝿溌騨粥一一▲二・広報じようぼく-----------…-----------…----.--8--544-

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です