広報じょうほく No.309 1988(昭和63)年 5月
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国道一二三号線に沿って家並 みが続く町東端の行政区、通称 新宿坂上に四自治会と近年開発 された坂下の西田川自治会の五 自治会で構成されています。下 級一、下組二、下坪西、下坪東 と西田川で、戸数七一戸、人口 二八五人の行政区です。 ▼職業 二〇年位前は数戸のサ ラリーマン世帯もありましたが 大半が純農家、現在は自営業が 一〇%弱、二〇歳から四〇歳代 で名実ともに農業を後継してい るのは数戸のみ、農家の長男を 含めて若い年代は会社や官庁へ の勤務、五〇代以上の観たちが 機械力を駆使して精力的に農家 として頑張っています。 ▼農作物 昔の桑畑、葉煙草、 さつまいも、素晴らしい菜種畑 などは見られず、牛専、長芋、 ハウス野菜づくりと大きく変わ り、荒れ田もポッポッ見られる 現状です。 田と畑の面積比では、昭和十 ☆こちら那珂西三区 明るく素朴な区 区長 井 坂 光 夫 五年ごろ十万原が開拓されて畑 となり、区内の農家のほとんど は十万原を耕作している関係上 畑の方が多いと思われます。 ▼組織活動 区の事業としては 一月一日の全戸参加による総会 と賀詞交換会をはじめとして、 道普請、空缶ゴミ回収、区内花 壇づくり、その他の活動をチー ムワークよろしく行っています。 その他、農業関係では水利組 合や耕地周辺.の野辺焼き、春の 江払いも年中行事の一つです。 ▼祭事 狭い区内に神社が三つ あります。鹿島神社は区公民館 近くに鎮座し、那珂西城址の一 画には愛后社があり、宝瞳院の 北方には三宝荒神があります。 昔、区内に火災が多く、火除 神社の愛后神社から分神して祀 ったところ火災がなくなったと 伝えられています。三宝荒神は 宝瞳院の氏神ともいわれていま す。荒神とは〝かまぜ″の守護 神ともいわれ火除神社ではなか ( ったかと思います。 かつては、これらの三社は御 田植祭りなどで賑わいましたが 今は、氏子絶代が中心となり自 治長が代表して拝礼している程 度です。 ▼高年者クラブ 元気な会員ば かりで、仕事の合間を利用して 精力的な活動をしています。毎 月一日と十五日には周辺の三カ 所の神社の清掃奉仕、月一回の 町保健婦さんとの健康相談や血 圧測定とゲートボールに興じ楽 ▼二月、節分票で にぎわう宝憧院 しんでいます。 ▼子ども会・中学生育成会 二 区と合同で組織しており、夏休 みの集団学習、定期的な空ビン 回収、▼クリスマスパーティー、 体力づくり運動等を行っていま す。 ▼婦人会・消防団 パパさんソ フト、ママさんバレー等の組織 も活動しており、区公民館と隣 接のグランドが有効に活相され ています。 ▼史跡 区内には名刺宝瞳院が あります。正しくほ「其儀真言 宗豊山派泉山宝瞳院法厳寺しと 号し、応安二年(三一六九年) 上宥上人が上郡珂西村大字経塚 に開創、元禄九年(一六九六年) 光閉脚により現在地に本堂落慶 移転したもので、寺宝に本尊聖 観世音菩薩をはじめ二十点を超 す逸品が現存する。 また、宝瞳院中門の南側に都 珂西城址の碑があります。那珂 西城は建武中興の功臣那珂通辰 公の居城としての県史跡です。 とりとめのないことを羅列し ましたが、かつての十年が一年 で同様の変ぽうを遂げる現今で すが、当区はその様相の変化も 少なく、李直に言って素朴なま とまりのよい区と自負していま す。近代流行産業も開発されて はいますが、昔のよい点は守り 残し、相互理解と協力のもと、 よき環境保全につとめ、前向き にして創造性に富んだ積極さを もって、健全で明るい地域づく りに努力していきたいと考えて います。 ・li ▲玉囁院の南側山中に建つ 那珂西城址の碑

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