広報じょうほく No.307 1988(昭和63)年 3月
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二月十一日・建国記念日。誰 れよりも一番先に起き、ごはん のスイッチを入れ、お湯をわか し、お茶を飲みながら朝のニュ ースを見ている主人、今朝に限 って起きてこないのに不思議に 思い見に行くと、いつもの顔で イビキをかきスヤスヤと気持ち よさそうに眠っていました。 安心して孫たちと朝食をすま せ、店の掃除もすませ、ふと時 計を見ると八時四十分。主人が まだ起きてこをい”変んだ〞と 思って見に行くと、口から泡を 出し、喉は血の混った唾液でい っぱいでした。 〝おとうさん・おとうさん〝 声をかけても返事がありません。 ただ苦しそうに 「うう‥・・」とだけ。 私は体がふるえ、自分がをに をしたらよいか部屋を行ったり 来たり。とにかく隣りに声をか けました。 その間、嫁がおちついて救急 =ぬた』◎俸駿記1- 糖尿病合併症の怖さ G 生 石塚 丁・ 車を呼び、かかりつけの水戸協 同病院に電話をしたら、すぐ釆 て〃‥という。診察室で応急処置 をすませ、出てくるのを待ちつ けて病状を聞くと、何んと糖尿 病特有の強度の低血糖で、今は 昏睡状態であるという。もっと 発見が早ければこんを状態には をらをかったのでは…というこ とでした。 急を聞いてかけつけた親戚の 人たちも帰えり、病室に入って 主人と二人だけにをった。いく らゆすっても、声をかけても返 事もしません。 鼻や口に管を入れられ「うう」 と苦しそうに言うばかり。こら えきれずに私は大声で泣き伏し てしまいました。 眠れぬ一夜が明けて、絶え間 をく出る疾に対処するため、先 生は、疾が気管に入ると命取り にをるといって、次の日喉・の手 術をしました。昏睡状態のまま 頭のレントゲンも振りました。 ( 息子と私が先生に呼ばれ、レ ントゲンの結果を説明されまし た。 「頭の方は何んの異常もありま せん。ただ強い低血糖のため頭 に栄養がなくなり、今の状態が 長く続くようでしたら、たとえ 日が覚めても植物人間にをって しまうかも知れません」…‥・と。 ”先生、主人を助けてください″ 辛うじて出た私の絶叫でした。 主人が糖尿病とわかったのは 会社での健康診断でした。最初 の入院が昭和五十四年五月、そ の後入退院をくりかえし今度が 四回目。 土地を求め家を建て、三人の 子供たちを大学まで教育し、店 をもつために大型のトラック野 郎として南は九州、1北は北海道 と夜を徹して走ったものでした。 しかし定年まで働けず、四十九 歳にして会社を早期退職、その 時の主人の体はもう過労でポロ ボロでした。 最近では糖尿から出た神経病 と皮膚病の合併症に苦しみ、散 歩もあまりできませんでした。 その昔しみに耐えかねてか、酒 を飲むことも多くをり、かえっ て病状を悪化させたようでもあ りました。 昏睡状態になってから今日で 二十日。点滴だけがたよりです。 まだ目は覚めません。主人は本 当に植物人間にをってしまった のでしょうか。目は開いても天 井だけを見ている主人。先生は いろいろと刺激を与えをさいと いいますが、まだ何にも分かり ません。 ぽたもぢ 「棚ぼた」は「棚から牡丹餅」 の省略形。「あいた口に牡丹餅」 「寝ていて餅」ともいうように、 ひとりでに思いがけをい幸運が 舞い込むたとえに使われます。 春の彼岸に欠かせをい牡丹餅 あん は、丸めて赤い小豆解をまぶし た形が、牡丹の花に似ていると ころから付いた名前とされてき ました。 牡丹餅は秋の彼岸では、萩の 餅、おはぎとも呼ばれます。小 豆を粒のまま散らしたところを、 咲き乱れる萩の花に見立てたと いわれますが、季節に合わせて 官営の展度合 /l\ ぼ 「おとうさん、寝ていないで早 く目を覚ましてよ………」 元気だったころの思い出を胸 に、夢中で働いた主人に、今は 何もかも捨て、感謝とぎん悔の 気持ちで一生懸命看病している 私です。 同じものが呼び名を変えたケー スと見るべきでしょう。 また、牡丹餅の「ぼた」は、 ボタポタとふとったさまからき たとする説もあります。女性の 丸くて大きを顔を「ぼたもち」 といったのも、このことと無縁 ではをかったようです。 「棚から落ちた牡丹餅」という ことわぎは「棚ぼた」と同じ意 味とともに、その落ちてつぶれ た形から醜い顔の形容にも用い られました。同じものが全く違 ったケースに使われるのもこと わぎの面白さでしょう。 広報じょう底く

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