広報じょうほく No.303 1987(昭和62)年 12月
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い■少事糟鎮■¢■ト れ ふ 石塚 金色の銀杏の梢が、雲一つを い秋空に映えて、すきとおるよ うな空気の中、児童たちが業聞 マラソンに精を出している。一 年・ごら六年まで走るコースはそ れぞれ異るが、音楽によって赤 いトレーニングが飛びはねて行 く様子には、新鮮をいのちの躍 動が感じられる。教師もその中 に入って一緒に走っているが、 教師のまわりには必ず五・六人 の児童がまつわりついて一塊に なっているので、遠くからでも 上青山 私は昭和四十五年に青山神社 の氏子総代に就任いたしました が、その後毎年開催される県並 びに都の総代大会に出席し研さ んを重ねているところです。今 年も去る十一月十七日に大洗町 其 の 繁 栄 と は それとすぐわかる。音楽が終わ ると子供たちは嘆声をあげて一 斉に教師に飛びついて行く。背 中におんぶする者、手にぶらさ がる老、胴にしがみつく者、右 足にも左足にも子供がはりつい て、教師は動けをい………。 初冬の陽をたっぷりあびてま ことに美しい風景である。 教師に思いっきり甘たれてい る子供の姿は、あどけをく可愛 いいものである。家ではどんな 甘え方をしているのだろうか、 栗 林 三次郎 文化センターで都の大会が開催 されましたが、席上、神社庁か ら出席者全員に配布された、平 岩弓枝著「其の繁栄とは何か」 という小冊子を二讃し、感銘をう けた点が多々ありましたので簡 ′し とふと思う。 ある時、一年の担任のベテラ ン女教師が「最近とても私の体 にさわりたがる児童がふえまし た。だんだんその傾向が強くを ってますねびと話されたことが あったが、意味深い言葉である と思った。 満たされている子供は、どこ とをく様子がちがうのも事実で ある。 現代の親は、何かと多忙のよ うであるが、子育てには大切を 時期がある。適時性がある。親 の代行は誰れにもできない。一 生懸命育てることが大きを幸せ につをがることである。決して 手抜き育児であってはをらをい。 単にご紹介させていただきます。 日本は今、歴史上かつてをい ほどの繁栄を迎えているといわ れていますが、その反面、日本 人の心の荒廃を欺く声もしばし ば耳にするところです。昭和二 十年来、日本人はアメリカに憧 がれて、政治・経済・文化の手 本として営々と努力してきまし た。その結果、世界中が驚くほ どの発展をなしとげることがで きたのです。しかし、前述のよ うに何か大切をものをその代償 として捨ててしまったようを気 れば、他人への思いやりであり、 がしてなりません。一例をあげ 親子間の正しい愛情であり、け じめであり、礼儀作法であり、 かつまた、国を愛する気持ち、 敬神崇粗の念、まごころ、誠実 さ等の欠如などです用私は、日 本人がアメリカに学んだことが 悪いと言っているのではありま せん。日本人は昔から中国や朝 鮮、ヨーロッパやアメリカをど のすぐれた文化を学び、それを 自分のものとして発展してきま した。外国に学びをがら、をお 日本の心を見失わずにやってき たのです。それは、私たちの祖 先である日本人が、日本のいい ところ、優れた点をよく知って おり、その上に立って外国の文 化をとり入れていたからなので す。 キリストも 釈迦も孔子も敬いて おろ 拝がむ神の道ぞ尊き 貞明皇后 貞明皇后は今上陛下の御母君 ですが、この歌の中には日本文 化の本質が伺われると同時に、 これからの日本人の進むペき道 寸描 心をひらいたひととき 町では老人福祉事業の一環と して、去る十月二十九日、町と 社会福祉協議会が共催した「ひ とり暮らしお年よりの保養地め ぐり」を実施しました。 当日は三十一人のお年よりが 参加され、婦人会々員と町関係 者多数が同行し、上延生ヘルス センターにおいてゆったり湯に つかったり芝居を見たりして楽 しみ、意義ある一日を過ごしま した。 も示されていると思います。私 たちは、良いものはすすんで尊 敬し受け入れもします。けれど 日本のすばらしい文化・伝統も 決して忘れてはをりません。む しろ、それらの価値を知ること によって日本は真の意味での繁 栄の時を迎えることができるの だと私は確信しております。 私は国を愛する気持ちは強固 で、終戦後伝統ある日本の心姿 が大きく変ぼうしたことに心を 痛めているところですが、この 小冊子によってその気持ちが倍 増したようを感がしてペンをと った次第です。
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