広報じょうほく No.298 1987(昭和62)年 7月
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現在のわか国の農業情勢を見るに、・貿易不均衡による農産物への外圧の問題、専業農家の後継者不足の問題、就農者の高令化と婦女子化等々、農業がかかえる諸問題は極めて深刻です。農産物自由化の波は、価格の低迷を来たすことは明らかであり、かつまた、専業農業後継者は一集落に二・三名しかいないという現実。後継者の中には三十五歳を過ぎても結婚の相手が見当たらない。また、中核的農家の農業従事者の本紙三月号、山野草を食べましょうと紹介したまま投稿しませんでしたので三月に続いて記してみます。広報じようほく四月号に季節のI投蘭IⅡⅡ薬草・よもやま話I現今の農業情勢を考える私の山菜食増井飯村明那珂西平均年令は五・十歳代という現実。いまや、わが国の農業の前途には光明も魅力も失いつつあるかに見えます。第二種兼業への移行をはじめとした混住化社会へと変わりつつある現在、わが国の農業は今後どうなるのか、うれいざるを得ません。今こそ、わが国の農業の未来に光明と魅力を見出すべく、その具体的方策をみんなで真剣に論議すべきで.はないでしょうか。ある農協の役員さんは、「板垣話題として「春眠」が掲載してありましたが、誠に時期を得た編集者の気配りに感謝いたしております。私は長い間詩吟を勉強していますが、早春の時期ともなると最ノ」’堀兵次死すとも自由は死せず」という言葉を引用して「農民死すとも農は死せず」と言われました。誠にその通りであると思います。農業は国家の基幹であり、永久不滅であります。われわれ農業従事者は勇気と確信をもって、農業再建に努力すべきであると存じます。自立経営農家の育成、つまり、農地の流動化(貸借)による農地の集団化をはかることにより、大規模経営への道へ連なるのかもしれませんが、かずかずの悪条件にさまたげられて簡単にはできるものでもなさそうです。百年の大計をたて、究極の理想実現に向かって共々週進しようではありませんか・・…・…。も好んで吟ずるのが春暁です曾一:処処時烏を聞く」。すばらしい詩文です。その「処処暗鳥を聞く」時期が、三月末から四・五月にかけての山野草の新芽が萌える時期なんです。寒さに堪えた身体は待ちに待った時期到来とばかりに山野に足をのばすのは当然のことです。山あいを歩くと頭上で澄みきった麓の声に振りかえりながら汗をふきつつまた歩き出します。我が家の四月十四日はまったく。●■●の①●●①&艶●■■。。。■●●U●■一そんか二日でした号午前中家・内が近所の奥さんと二人で山菜摘みに出かけました。約二時間経って戻ってきましたが、セリを少々摘んで持ち帰えっただけでした。出かける前に十分説明したのでしたが自生している場所が見当たらないとのことでした。昼食後、私が先頭で再度挑戦です。場所は十万原から西田川周辺ですから歩いて十五分程度。最初に山に入りさっそくタラの新芽をみつけました。薄日のさす平地です。採取をはじめたころ「処処暗鳥を聞く」、頭上では燕がわが世の春を語歌し飛びまわっていました。少々でしたが一回分には十分の量、西田川堤防でトトキ、クコ、ヨモギを摘み、二時間で帰宅しました。自宅近くの山で、けさ山プキを摘んでおいたので、夕食の惣菜は山野草一色。タラの芽とヨモギは天ぷらに、山プキは佃煮、クコ、トトキはおひたしに料理して主食は麦めしという、豪華そのものです。また五月十日は、母の日にちなんで、八十五歳でなお健在の家内の母を福島の湯岐温泉へ、三泊四日の湯治に招待して行ってきましたが、その折り、下館からの七十七歳の湯治客が部屋に遊びに来て山菜の話しとなり、私がトトキの説明をしたところ、老婆はトトキ○一○○○○円常北さっき同好会会長宮崎糟臣様町公民館で開催した「さつき展」の展示即売会の売上金の一部を預託されました。○カラオケ装置一式上古内小滝武男様利用者の用に供するために、老人福祉センター〃やまゆり荘〃に寄贈されたもので、第一回カラオケ大会にはさっそく利用されており感謝されています。よりシドキの方がなめらかでおいしいとの説明があり全家内が、ぜひシドキなる草を教えてほしいとお願いしたところ、さっそく地下足袋姿になって案内してくれ、買物袋に山もり採ってまいりました。さっそく手にとって見たところ見おぼえのある草で、山形県米沢の谷あいから一株持ち帰えり、わらふじが厚が家の庭先に植えた「紅葉傘」だったのです。シドキは方言で、モミヂガサが正式名称でした。おひたしにしてみましたが、トトキよりはなめらかですがやはり味はトトキが優っていました。善意のともしび広報じようほく-389-

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