広報じょうほく No.298 1987(昭和62)年 7月
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一どうもあんばいが悪くて言言:」などというときのアンバイは、からだ具合、健康状態のことですが、この言葉はもともと、塩味と酸味で食品の味を調節するエンパイ(塩梅)からきたものです。夏季に梅の実を漬けるとできるうめイ梅酢は、食塩とともに食べ物の味をうまく調えるものですが、君主国里一三五登雪蚕1望零B垂二言写込守司■差妄言紫の履歴者孫二人駄賃のキャラメル分けてを島グかつり迂闇に口だし出来ぬこの世界大畠元宏も呈淋しさは言はざり吾娘の嫁ぎてよったとりり夫は写経の時間長もちて片見初枝絹糸の雨降りやまぬ花かげの小さき遊女の墓に花散る川上千代子ら9げ雨にねれし矢車草を瓶に差し朝鋪のキャベツねむごろに刻む島愛子掴潮来より富士の嶺見ゆる冬空に思かひは廷える登りし事の関谷定代ひと。⑪花も見ず弥生の一日逝きし君の賀塩梅を助催て程よく政務を処理する臣下を、古代中国で「塩梅の臣」と呼んだのも、同じような役割をつとめるものだからでしょう。この「塩梅」がアンバイと読まれるようになったのは江戸初期からで、物事を程よく配列する意味の「按配」と混同されて使われたのではないかと孝えられています。味加減を意味する言葉が、やがて物事の程あい、からだ具合などをさすようになったのです。元禄時代には、おでん売りが「こんにゃく豆腐のあんばいよ-」と呼び歩いたことから「塩梅好し」はおでんの別名として用いられました。現代なら健康食品や強壮剤の名前にピッタリでしょう。ばんかみ稚二状の版画文箱に生くる多田志保子」い朽ち果てし椎の枯木の裏側にみず”た付みずと生ふる肉厚き茸丹下栄子・9人B空うげ降る雨にぬれつつ匂ふ沈丁花一坪ほどの我が庭の春坪井きよ子さみどりの麦の畑のキャンバスにさざなみもよう描く淡雪寺門孝子とU孫の背丈頓に伸びたるこのごろを吾の身丈は老いて縮みゆく滑川信子空白の二十余年を埋むるごとく同も戸印窓会の宴は壷きず萩谷登喜子_医宇===11ヨアーーコロ三J=畠■巳へ』一ョ■■凸-.隅一r~一一一一℃~J=qⅡ一=込旦ユヨ占序PLEmIb笹色==て守宅■=一一二雪盲宝』=ロョーーPI■=云五==-弓一~ヨー一二二Lコニロ密”一=五五蚕一弄可….一一一一一戸二苫昌b=今年は不順な天候にわざわいされて出来は不調との話でしたが、みごとな秀作が展示され、訪れる人々の目を引きつけていました。常北さっき同好会(会長・宮崎精臣さん・会員十名)では、毎年丹精こめて育てあげた自慢のさつきを一堂に集めて展示公開していますが、今年も去る六月六日七日の二日間、町公民館ホールにおいて盛況裡に開催されました。華麗にさつき展▲秀作を一堂に集めた展示会場去る七月三日、老人福祉センター山ゆり荘で第一回のカラオケ大会が開催され好評を博しました。この大会は、町内の高齢者が日ごろ生きがいとして楽しんでいるカラオケを公開し合い、あわせ・てやまゆり荘の利用増進をはかる目的で開かれたものです。当日はおよそ一八○名の愛好者が参加され、盛況を極めました。熱唱の結果は次のとおりです。最優秀賞・園部清、優秀賞・所ふさ・飯村和枝、特別賞・桧山東・関沢薫、熱演賞・小滝武男・阿久津はる・竹田なつ・加倉井たま・桧山よて、ハッスル賞・栗林三次郎・前田静枝、トップ賞・園部ため。以上の方々でした。盛況にカラオケ大会▲おおぜいの愛好家でにぎわった会場’11;広報じようほく-393-

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