広報じょうほく No.297 1987(昭和62)年 6月
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言い渡し」が認められるようにな’糖扇寄涜Iり、これを受けた者は保護観察に付されることとなって、その保護更生保護⑨窯蕊錐蕊塞月一日から成人の執行猶予者の保県功労保護司今瀬敏一噸鍛樟》実施されることになった何しろ国柄が異なり考え方も連て、その代りに保護局を法務省の続いて昭和二十九年再度刑法のう彼等の軍制下での種々の機構草内局としたことや、仮釈放の権限一部改正が行われ、初めて執行楢案というようなことは特に想像以を持っている各地方更生保護委員予の言い渡しを受ける者は裁判官上誰かしいことでした。しかし関会、保護観察を担当する各保護観の裁量で保護観察に付されること係者の苦労の末、昭和二十五年に察所、保護司法による保護司につができることとなったのです。そ更生緊急保護法と保護司法の二ついて両立制を撤廃して、それぞれして同時に執行猶予者保護観察法の法律を急きょ制定したのでした。少年・成人の別を設けたこと等でが制定されて、同年七月一日以降、前者は保護観察には付されないがした。そしてこの機織の一本化は執行猶予者の保護観察は、すべて保護しなければならない者たちのこの改正によって行われ、同年八この法律の規定に従って行われる保護と、すでに保護観察に付され月一日から実施されたのでした。こととなったのです。ている者に対して応急の処置救護成人の執行猶予者に対しての保護かくして占領解除と同時に着々等について、その方法や事項を定観察制度は、昭和二十八年八月にと法律の改正が見られ、現在の更めるとともに、個人が更生保護を行われた刑法の一部改正によって、生保護の誕生となったのです。行う場合の更生保護会の制度を定裁判上新たに「再度の執行猶予のめたものであり、後者は今までの司法保護委員を保護司と改称し、その定数や資楕任免、職務の執I雷少年相談員の声1行区域、更に服務費用の支給、表蕊蕊蕊蕊藤地域社会とのふれあい和二十七年四月二十八日連合軍と那珂西森島忠明の間に待望の平和条約が締結されて占領が解除になったので、今ま青少年の非行を防止し、社会環る事件が起きましたが、私どもはで』HQ下で定められた不本意な境の浄化につとめ青少年の健全青大きな衝撃を受けました。これは諸法律の改正が早急に行われたの成が問われているときに、残念にちょっとした出来心から起こったでした。その一つに法務省の外局も水戸市内の中学生同志が、ささようですが、とりかえしのつかなであった中央更生委員会を廃止しいなことで争い、ナイフで刺傷すい大事件につながってしまったわ仕事等が少なくなり、地域での生活にうるおいが感じられなくなりました。もっと自然の中で生き、地域での社会参加、キャンプ遊びなどにより、仲間づくりを通してお互いに成長し、豊かな心を深めるよう地域とのふれあいを大事にしてゆきたいと願うものです。今の社会は大人は多忙さに追われ、若者至上主義で大人は目を覆いがちですが、もっと目先の利益に目を奪われないで、次の世代を担う青少年を育てるよう一人一人が努力する時期にきていると思います。私たち大人の力で、明るい地域社会をつくり、青少年とのふれあいを深めるよう心がけて進みたいと念願している一人です。けです《〕このようなことを未然に防止するには、いろいろと手段は考えられますが、一つには地域社会とのふれあいを強化してゆく必要があると思います。現在、社会及び教育環境の変化により、青少年の遊びや家庭での唯丁段一蓮っ葉な女」という表題は.軽はずみな身持ちの定まらない女性の形容に使われてきました。長唄「娘道成寺」の一節にも『どうめと二あくし凸今はTでも女子は悪性もの、都育ちは蓮葉なものじゃえ..…・」とあります。六月ごろ水面に小さな新葉を浮かべる蓮は、浮き葉の時期をすぎると水面から斜めに巻き葉を出し、夏の盛りには円形の葉を大きく広げます。インド原産の蓮は仏教と縁が深く、仏事に多く用いられてきましう・切唯人た。孟蘭盆のとき、祖先をまつつし凸今叩▲令尾なた精霊棚に敷いたり、葉にもち米はTめしを包んで蒸した蓮飯を供えたりします。江戸時代にはお盆になると「蓮葉売り」がその季節だけの商売をしました。「蓮葉商どという言むれもの葉は、際物商売の意味に使われています。牌寸雌「蓮っ葉」の語源は「斜端」の意とする説、蓮の葉が水をコロコロとはじく時の形状にたとえたとする説などもありますが:「蓮葉商どのようなその場かぎりの浮薄さからきたとする説が、なかではいちばん有力なようです。言葦の履歴書11蓮っ葉8-広報じようぼく-378-

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