広報じょうほく No.295 1987(昭和62)年 4月
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私にと(言ては初めての船旅である。未知の国中国までは四日間、不安と期待が入り交じった複雑な心境での船出であった。船内研修は、講演、講座、係別班別活動、クラブ活動等と、分きざみで組まれており、お世辞にも余裕のあるスケジュールとはいえなかった。その中でも、私が強く感銘したことは、ビクターカサーレ講師の講話であった。「生活環境は違っても皆人間である。見知らぬ国を訪問する際に大事なのは、ゴミ一三ケーションである。言葉茨城県青年の船に参加して今年度の茨城県青年の船には、常北町からは四人の青年が参加しましたので、それぞれ感想文をおよせいただきました。今月は第三回目です。石塚江幡和浩の障害を乗り越え、目で笑いかけ、自分をさらけ出し、槙極的な行動をすることが大切である」・この言葉を聞き、私自身考えさせられる点が多かった。それとともに、少しながら勇気をもって中国に接してみようと思ったのも確かであった。ほかにも、団長講話、船長講話、各講師の講座と、私のような未熟者には、すべてが勉強になるものばかりであった。いよいよ上陸である。午前八時肌寒い中、地元の子供たちが、歌と踊りで私たちを迎えてくれた。私はときめく思いを抑えつつ、中国への第一歩を強く踏みしめた。現地でのスケジュールは、船内のときよりも実にハードなものであった。第一の訪問地天津では、まず水上公園で記念植樹をし、次に外国語学院で中国青年との交流をはかり、夜は雑技の観賞をした。二日目は午前四時に起床し、暗闇の中私たちは第二の訪問地北京へと向った。北京での二日間も駆け足に”天壇公園:明の十三陵、万里の長城、天安門広場、故宮博物院と見学し、ただただ中国の偉大さに敬服するだけであった。そして、私たちは最後の訪問地大連を訪ずれた。ここでの二日間は各種工場、幼稚園、小学校それに一般の人家を訪ねたり、地元の青年たちとのスポーツ交歓会が催された。ここで私が今回の研修の中で一番印象深く残っていることを話そう。それは、小学生たちの目であった。あの輝やきは一体どこから来るものなのか。そう思った瞬間私は、自然に身体がたじろいていた。そして、この子供の将来を考えると、日本が追い越されるのもそう遠くないような気がし、うかうかしてはいられないと、気をひきしめたのも確かであった。中国最後の夜は、地元青年約一○○名を招いて交流交歓会が盛大に行われ、長いようで短かかった中国での五日間が終了した。復路での研修も無事終え、十一月四日、私たちは十三日間にわたる研修にピリオドを打った。今回の研修に参加したことによって、私は数多くのことを学び得ることができた。地域や職場の違う人たちとの交流により、自分の知らない世界を知ることができ、自分の置かれている立場を冷静に見つめ直すことができた。これからの国際化時代に向って、日本以四月下旬から五月上旬にかけてのゴールデン・ウィークは、行楽等で出かける機会が多くなる時期外の国を訪ずれ.その国の事情を少しながらも理解することができた。船という特殊な場での生活により、積極性、協調性、寛容性、忍耐力などが養われた。ここに掲げたものはほんの一部にすぎず、私の受けた影響は測り知れないものがあった。最後になったが、貴重な体験を得る機会を与えてくださった関係者の皆様に厚くお礼を申しあげるとともに、この貴重な体験を地域社会の振興・発展のために、今後すこしでも役立てるよう努めていきたいと思っている。火災の被害を防ごう○○○○○昭和年月表示基準適合です一()宿泊施設を利用する際は、その施設が「適マーク」二定基準以上の宿泊施設の建築構造及び消防設備が建築基準法、消防法の基準に適合している場合、その施設を管輔する消防本部から交付される)の交付を受けた施設かどうかを確認しましょう。そして、宿泊施設に入ったら、最初に非常口・避難口の確認を必ず行いましょう。宿泊施設の火災の未然防止は施設管理者の責任は勿論ですが、被害にあわないためにも注意したいものです。第三日曜日は「家庭の日」○今月のテーマ家族みんなで話し合いをしよう常北町新生活運動推進協議会・新入学児の交通事故防止・家のまわりに木や花を・他人の子供にも愛の一言を広報じようほく101-352-

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