広報じょうほく No.293 1987(昭和62)年 2月
9/14
増井今瀬敏-このようにしていかに政府がやらを一般社会内で自由に生活させつきになっても、この事業は資金ながら、随時被保護者を訪ねて指不足でいっこうに進展を見ません導監督したのでした。これは、現でした。そこで政府は明治四十年在保護司によって行われている住になって初めて免囚保護事業奨励訪のようなものであったと思われ費というものを出すこととしまします。その後明治天皇の崩御といた。しかし、これとても全く微々う思いがけない出来事によって恩たるものでしたが、それでもこれ赦による大量の釈放者が出たので、によって政府は、さらに民間人に司法省はその処置に困って全国的呼びかけて一層の奮起を促したのに激をとばして各寺院の協力を求で、この事業も少しづつ進展をみめたので、この団体は一応全国にはじめるようになり、団体の数も広まるようになり、その後もたび増加を見るようになったのでした。たび恩赦があったので急速に発展しかし、新しくできる団体は一般をみるようになったのでした。大民間人といっても、そのほとんど正十一年には少年法が制定されて、が今まで同様寺院の住職で、そのこの法律による少年保護の事業が保護の方法も直接保護とは異ってその翌年から開始されましたが、間接保護という方法をとったのでこれも予算不足のため長い間足ぶす。すなわち、これらの団体はいみ状態を余儀なくされ、これが全ずれも収容施設を持たないで、彼国に施行されるようになったのはう素暗らしい国を自分自身で歩き:走り、見て、食べて、話して、いろいろな人々と出合い、一生忘れないであろう多くの感動と、素晴らしい想い出と、十三日間同じ条件の元で寝食を共にした、本音で話し合うことのできる多くの仲間I投蘭I更生保護⑤を得書一幸福一杯でこの旅を無事終えることができたことに深く感謝し、この船への参加にご協力いただいた方々、船を出してくれた方方に敬意を表し、ご報告にかえます。つい先日一月二十五日放映の「中学生日記」で先生役の東野英心さんが、四人の中学生の体験発表をもとに、その土地を訪ねる「心の旅」という番組を見て心に感銘をうけました。北国のきびしい自然の中で、家族の紳、人々の協力、思いやり、そんなふれあいの中から自分を見つめ、目標を見い出し、生き生きとした中学生達の姿を見ることができました。若い父親の死によって受けたつらさ、くやしさ、悲しみをかみしめ乗り越え、勉強に、スポーツに打ち込み、さらには、病に倒れた実に十九年の歳月を要したという誠に想像もできないありさまでした。この少年保護制度は、刑罰に触れる行為をした者ばかりでなく、その恐れのある者までも包含することとして積極的に人間育成の態度を打ち出しました。そしてこの少年法は、その保護を初めて国家の事業とするといっているのですが、組織的には国と社会との協同青少年相談員の声こころ下古内桑原綾子母を気遣い、少しでも休ませてあげたいというやさしさと力強さを感じとりました。母親が、元の仕事に復帰でき、ほっとしている様子、家族の者が一つ心になって頑張ってしっかりやっていますと報告できるまでの様子をテレビの中に見た時、やっと救われた思いでした。苦しみや、悲しみ、失敗等の体験を土台に自分を見つめ、強くたくましく伸びて欲しいと思い、まわりの人々の協力、励げまし、家族相互の紳の深さと大切さを知ったひとときでした。体制としたのです轡この免囚保護事業はその出発点における、民間人に行わせるべきであるという事実とは根本的に異ったのでした。とにかくこの少年法が確立され、すっきりした形で出発しますとこれにくらべて従来の免囚保護事業についてのあいまいさが一層目立ってきたのでした。の旅去る一月二十一日の第三十一回愛の献血は、午前中役場前、午後は常北高校の先生方のご協力をいただきまして、高校生を対象とした献血を行いました。一般の方々及び常北高校生等、多くの方の善意をおよせいただきまして誠にありがとうございました。なお、今年度献血いただいた数は次のとおりです。一般献血者二三○名常北高校生一○○名、計三三○名飲み方を止めるブレーキのようなもの。飲み方を反省することです。愛の献血に感謝広報じようほく-323-
元のページ