広報じょうほく No.292 1987(昭和62)年 1月
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私の二十歳のころといえば、ハンマーを少しでも遠くまで投げたい一心で、ほかのことはすべて二の次という、ハンマー投げ一筋の毎日でした。当時、私は後にも先にも経験したことのない極度のスランプに陥成人おめでとう一月十五日は成人の日。この日々成人式を迎えられる全国一三八万人、常北町一六八人の皆さんの門出に、陸上競技・ハンマー投げの室伏重信さんからメッセージをいただきました。昨年十月、総理大臣顕彰を受彰された室伏さんは、二十年近くにわたづてハンマー投げの日本記録を自ら更新し続け、アジア大会では前人未到の五連覇を成し逐げられました。〃鉄人〃と呼ばれるその強じんな肉体と綱釧嬉些鞠誓諏に鵬言蝿胸腕言誉走鱒隷l鋳譜鯨厨謬這蕊ました。不断の努力で自分を磨こうフォームを研究私がハンマー投げを始めたのは高校に入ってからで、一年の秋の練習中に全国大会の優勝記録を上回る記録が出せました。その後も試合で自己最高を何度も塗り替えるなど、大学三年の夏までは順調でした。ところが、三年の秋よりっていましたが、私のいわば〃ハンマー人生坪の成人式は、このスランプを乗り越えたときだったといえるかも知れません。もし、この時のスランプ克服がなかったら、現在の私はありえなかったと思えるほど、その後の競技生活に大きなプラスをもたらしました。八ミリカメラで今思えば、物事を深く考え、ひとつのことをいろいろな角度から見る習慣がついたからこそ、スランプを脱する}」とができたのでしよ』フ0スランプに陥り、それまで出していた距離が投げられなくなってしまったのです。なぜなのか。どうしても納得できませんでした。当時、私は身体を鍛えることでスランプが解消できると思っていましたので、一日に三百回もハンマーを投げたこともありました。しかし、それでもスランプ脱出はなりませんでした。思い悩んだ末に始めたのが、八ミリカメラを使ったフォームの観察です。自分だけでなく、他人のフォームも研究しました。足の運びから目の動きなどの細かい点まで、いろいろな選手のフォームを何時間も見て、自分と比較しました。そして、こうしたらいいのではないかというひらめきがあると、畳の上で回転の練習を始めるという毎日が約四カ月続きました。そのうちに、フォームの欠点や長所が分かるようになり、それに基づいて新しいトレーニング法を採り入れ、スランプを抜け出すことができたのです。スランプに陥っても逃げだすな私が現在のハンマー投げの日本記録を出したのは、三十八歳のときでした。そのときは、うれしいというより人間の持っている潜在能力の大きさに驚き、恐ろしくなってしまいました。二十歳を迎えた皆さんには、計り知れない能力が年埋蔵〃されているはずです。それを引き出すために、目標を高く揚げ、不断の努力と工夫で自分を磨いていただきたいと思います。あなたがたが社会で活曜するのはこれからです。成人おめでとう。(談)スポーツに限らず、物事を始め、れぱ、一度は何らかの形でスランプに見舞われるはずです。そんなとき、私の体験を通して言えることは、その場から簡単に逃げ出さないでほしいということです。あわてて結論を出したり、あきらめたりしないで、ほかに何か方法がないかをじっくり考え、工夫することを試みてください。新たな方法がきっと見つかるはずです。あなたにもある。◎。◎。◎計り知れない潜在能力24時間健康テレホンサービス電話を通して健康をおとどけします。金0298(土浦)22-3560茨城県保険医協会広報じようほくも可■41.bq、、f画-306-|ブーマ2月の月火水脳卒中を予防するには歯ならびの悪いお子さんへ「子宮癌」と「子宮筋腫」木金胃・十二指腸潰揚冬の上手な,1毛」でお#みの方に奇法
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