広報じょうほく No.289 1986(昭和61)年 11月
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もういくつ寝るとお正月………指折りかぞえてお正月が来るのを楽しみに待った幼少のころと、時代の相違はあろうが、目まぐるしく変わる時の流れに押し流されながら、日常生活の繁忙の中に明け暮れてまたたく間に一年が過ぎて「また歳末になってしまった」と思う。これは私ばかりでなく誰れもが感じる共通の実感ではないでしょうか。ところで私は、歳末になると、やらなければならない一つの行事があります。それは、二日がかりで「親せき」を含めて戦友に送る二十個近い“宅急便作り”をすることです。私は大東亜戦争には現役兵として南方方面に勤務しましたが、航空情報隊という特殊部隊だったため、兵員が全国各地からの編成で、従って戦友も全国各地に散在しております。復員後も、いくどか死線を越えて苦楽を共にした往時を偲び、その生活の中で培われてきた心の紳を大切に、特に親しい十五名の戦I投稿二題I戦友と宅急便上入野猿田正一友と親交を続けてきました。そして准れからともなく、その土地の四季折り折りの産物や名物を送ったことから、これがいつの間にか定着し、いわば産物の交換会といったほうが適当のような行事が行われているのです。例をあげれば鹿児島からは磯の香り漂う「わかめ」、福岡のミカン、大阪の銘菓岐阜の「マツタケ」名古屋の「きしめん」、東京からは海苔等とさまざまです。私は、茨城梓産として「ごぼう」を送っていますが、正月料理の一端をうるおす贈り物として喜ばれています。なにしろ二十年以上も続いているのですから親交も家庭内にまで浸みこんで、歳末になると電話で「茨城ごぼう」がなければ正月料理が淋しい、今年もよろしくね……」とか、また、主婦の方からはごぼうのお礼を兼ねて、きんぴらごぼうのおいしい作り方を教えてくださいという問い合わせや、今年のごぼうはやわらかくておいしかったとか、ごぼうの出来ばえの批評までしてくれるようそれでは、現在大きな問題となっている更生保護とは一体どのようなものなのか簡単にその芽生えから現在にいたるまでの歩みを述べてみましょう。更生保護、これは一口にいってしまえば誠に簡単なのですが、その誰かしさは一通りではありません。なにしろ彼等は普通の常態ではないのです。常に何ごとも自分本位な考えで生活し、社会人には反感をもち、敵意さえもっているのです。このような人たちを落ちになりました壱家族柵戒も同然にわかるようになり、同年の子供たちまで文通したり、子供の小学校時代には俺美大島名瀬市の小学校と作品の交換をしたり、クラス同志の交流から学校同志の交流もしたこともあります。なお、一年に一M、全国各地交代で戦友会がありますが、観光を兼ねて、でき得る限り出席していますが、開催地に近い戦友のところには帰路お互いに宿泊して交流を深めています。特に印象に残るのは、一昨年の神戸市有馬温泉で更生保護②県攻労保護司今瀬敏一着かせ、反省させ、そして一般社会人と共に生活できるように指導監督するのですから容易なことではありません。その過程においては常に彼等の日常生活にまで立ち入るので士から、彼等にとっては非常な不快感をもつことでしょうし、また、屈辱すら感ずることでしよ』フ。さて、それでは更生保護ということはいつごろから行われるようになったのでしょうか。実はその芽生えは古く、徳川時代だったのの戦友会の帰路、大阪箕生国立公園内の高級住宅地に住む戦友の家に宿泊したことですが、この高台から晩秋の澄みきった夜空を通して望む大阪市街の夜景の素晴らしかったことが目に浮かびます。こうして全国各地に在住する「親せき」にも勝る戦友と親交のできることをありがたく誇りに思っています。私ももう少しで七十歳に手が届く年令になりますが、今後も心の紳を大切に、老後の生きがいとして体力の許す限り、戦友に送る「ごぼう〕づくりを続ける心算です。です垂手治安のいきとどかなかった当時は、犯罪非行など日常茶飯時で、いたるところで行われていたのであって、さすがの幕府も相当以上に手をやいていたことでしょう。そこで徳川幕府は窮余の一策として前科者を江戸の佃島に集めてここに授産所として設けた人足寄場で、彼等に社会に出てから何んら困らないようにいろいろな仕事を授けたのです。これは寛政二年のことで、おそらくわが国における更生保護のはじまりであったと思われます。犯罪者といえば、今も昔も一般社会人は冷視し別人扱いにしているのが通例のようですが、徳川時代にすでにこの点に留意して犯罪者をあたたかく迎えて教育し、更生させて社会に送り出していたのです。とは言っても当時のことです。一度罪を犯した者はいかに更生し社会に復帰しても、その前身をかくすことに苦労したことは並たいていではなかったようです。この点は今とだいぶ違うようです。いかに当局や篤志家が更生保護に壷くしても、一般人に前科者とわかれば、真面目に働き苦労して築きあげた地位も財産も全部ご破算になる時代であったのです。当時の一般人の犯罪者に対する考えが、いかに冷酷で残忍だったかが伺がわれます。10:一広報じようほく-286-
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