広報じょうほく No.288 1986(昭和61)年 10月
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子供の知的好奇心や探求心こそ教育や学問の源泉であり、それらを伸ばすよう上手に手を貸してやるのが、私たち大人の役割といえるのです。ところで今、「青少年の科学する心をはぐくむ」ことが急務である、といわれています。では、“科学する心鋤lすなわち子供の知的探求の世界を広げるとはどういうことなのがここで改めて考えてみましょう。では、どうして手が軽くなるの』科学者は母に教えられた「考える」ことの意味『理雌葎確雑詠齢酔霊軸諦窪湘どんな少年時代を型」したか数学者・広中平祐氏のエピソー知識はなかったが、決して『わか「三つ子の魂百まで」といわれドにこんな話があります。らなどとはいわなかったし、う.るように、幼児期、少年期の体験「かぞえの五歳のころ、私は母るさがることもなかったやは、あとあとの人間形成に重要なにいろいろたずねた。『お湯の中『さあ、どうしてじゃろうなあ』役割を果たすことは言うまでもあ科学する心をはぐくもう青いから青しのよ」など1竺質閉り切れてしまうかもしれません。一なぜ海は言いの?どうしてお墨さまはキラキラ光るの?』なぜ?どうして?l小さな子供の素朴な疑問は、ときに私たち大人を困らせる場合があります。そんなとき「うるさいわねえ、海は音いから青いのよ」などと、質問を拒絶してしまったとしたら、子供の好奇心の芽は、そこでプッツ『さあ、どうしてじゃろうなあ」役割を果たすことは言うまでもあというて、一緒に考え込んでくれりません。特に、少年時代に自然た。ところが、考え込んでも答え現象の好奇心をもち、それを追求はいっこうに見つからない。するする楽しみを知って熱中すれば、と母は、私を連れて、当時、田舎これが長じて創造性の発揚につな町では数少ない知識人だった神主がる、と考えられています。さんやお医者さんをたずね、『ひ日本を代表する科学者の少年時とつ説明してやってください』と代を調べたレポート(創造的な研頼むのだった。究開発を推進するための条件調査このような経験をくり返えすう・科学技術庁)でも、自然現象にちに、私は母から『ものを考える興味をもつことは創造性につながことは、考えることそのものに意る、という意味のことが次のよう味がある、価値がある」というこに書かれています。とを学びました」と広中氏は述べ「多くの研究者に共通することています。は、比較的伸び伸びとした少年時個人的な興味や関心を思うようにくみあげてやれない場合もあります。とすれば、生物なら生物だけを、メンデルならメンデルの法則だけをより詳しく学習したいという子供は、学校教育とは別の側面から評価され、支援される体制が必要になってきます。つまり、家庭や地域社会が、子供の知的探求心を自主的・持続的に発揮できる代を自然と触れ合いながら過ごしている、ということであった。すなわち、ただ単に知識を吸収するのではなく、のびやかな知的好奇心と素直に自然を観察する目を彼らは知らず知らずのうちに身につけていったものと考えられる」このように考えていくと、青少年が健全に成長していくためには、特定の興味や関心を自主的・持続的に追求できるような素地を作っておくことが大切のようです。ところが、現在の学校教育では、家庭や地域社会が子供の知的探零心の受け皿に品質の優れた製品を次々に生み出し、経済的なゆとりを得るようになった日本。この日本の繁栄は、科学技術の飛躍的な進歩に負うところが大きかったことは言うまでもありません。ところが、その科学技術の基幹となる発明や発見の多くは、外国人の手によって成されたlという指摘があります。つまり、日本は外国で編み出された画期的な技術を巧みに利用して今日の繁栄を築いてきたというのです。資源に恵まれない日本が、将来に向かって発展を維持していくには、今後は日本人自らが、画期的な発明・発見を生み出していかなければなりません。そのためには、創造性、考える力、表現力を備えた青少年を育てていくことが、これからの大きな課題となるのです。受吟皿となることです一重たとえば、子供が関心をもったことについて親も勉強してみる、本からだけの知識ではなく、博物館や自然の中へ連れて行く機会をつくり、体験学習させる、といったことが必要になってくるのではないでしょうか。画期的な発明・発見を日本人の手で胆広報じようほく-265-

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