広報じょうほく No.287 1986(昭和61)年 9月
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春園綿登豆夫毎日のように新聞やテレビなど機会が少なく、母親が家庭の管理でさわがれ、大きな社会問題となから教育に至るまでまかせられてっている子どものいじめや、青少いるのが現実のようです。父親は、年の非行問題の原因の一つに、家ただ生活費を得るために毎日働く庭の中での父親の姿勢が考えられだけの感があり、これでよいのかます。と疑問をもつ一人です。現在は、多くの父親がサラリー私たちが子どものころは、正面マンとなり、朝早く家を出て帰えから父親のきびしい指導と、これりが遅いので、子どもと触れ合うをかばうような母親とが、相互協草を刈る力余りて石を打つ今瀬剛一浬し端居して遅き戻りの子を待てる荒井頒雨墓掃除先づ十薬を抜きにけり加藤鉦好あ・叩冷呈し高声で来てずぶ濡れの荒神輿原勝男とだ甲虫の死もて絵日記杜絶えをり片見博l青少年ゞ相展麗の声I父親のしつ水族館イルカ涼しき芸をする鈴木きよし赤とんぼの落着くまでを風吹くな瀬谷博子露つけし野菜そのまま朝の市飯嶋とみ縫ひ急ぐ針にまつわる蝉しぐれ長須きみのう.0十尾届エ秋風にもぬけの浮巣漂へり高橋芦江夏空にファッション自問自答して飯村愛子署中見舞ポストの音のひびきけり浅野菊枝盆客を送り疲れのどっとくる綿引英子けひぐらしの声の止むまでかくれんぽ袴塚末子バス一つおくらせて食ふかき氷吉元つる代住めば都蛍生まるる星が好き阿久津あい子そ易二歩き初む吾子ひらひらと夏座敷竹内幸子赤とんぼ夕空にとけ去りにけり五十嵐千恵子病む母の歩幅よいつも日蔭にていそべきよ秋蝶の夢をひらひら手が追ひぬ鰹測寿美恵〈城北句会選)郵便局では、この八月から毎月第二土曜日のばか、第三土曜日にも窓口業務を休ませていただくこ力の形で子どもをはげまし育ててきたので、それぞれの厳格さと優しさが調和して、素直なよい子が育ったのです。ところが現在では、父親の権威は急激に失墜し「しつけ」のきびしさが次第になくなってきていまI郵便局だよ曙I窓口業務第二・三土曜日が休みとになりました。ただし、次の郵便局では郵便の窓口業務はこれまでどおりお取扱いをいたします。・普通郵便局・郵便物の集配事務を取扱っている特定郵便局・郵便物の集配事務を取扱っていない特定郵便局のうち一部の郵便局ご利用の皆さまには、何かとご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。なお、現金自動支払機及び現金自動預払機の設孟郵便局では、第二及び第三土曜日でも、キャッシュサービスのお取扱いをいたします。お近くのキャッシュサービスは、水戸、水戸大工町、水戸五軒町、茨大前郵便局で取扱っております。す電私はここで、父親の権一威を復活させ、一家の大黒柱である父親が、子どもから敬愛され、頼りがいのある、しっかりした父親になるよう呼びかけたいのです。そして、よい父親となるよう努力I)たいと念じている次第です。「まだ恋人がいないなんて彼女はかなり”おくて年だね」などと言いますが、これは生長の遅いみくて稲の品種「晩稲」からきた言葉。成熟の遅い人のたとえに用いられています。水稲の中では、八月に稲が出てh笹九月に実る「わせいね」の「早稲」が、最も生長の早い品種。「わせ」は早生の意で「わせいも」「わせあわ」「わせいちご」など、いずれも早生種の名称です。晩秋の十月、霜のおりるころに伽くて成熟する「晩稲」は「奥手」で、最も遅い種類。「おしね」とも呼ばれるのは「遅稲」が変化したものと考えられています。.「早稲田」とは、早稲を作る田のこと。江戸l現在の東京に、早稲田村という村名が生まれたのは、江戸時代もごく初期のこととされています。その早稲田に、大隈重信が東京専門学校(早稲田大学の前身)を創設したのは明治十五年でした。福沢諭吉の慶応義塾、新島譲の同志社に並ぶ歴史をもち、日本の大学の中でも早生種といえるでしょ具ノ。言葦の履歴倉宮早稲・晩稲広報じようほく10:-260-

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