広報じょうほく No.279 1986(昭和61)年 1月
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那珂西薬草会小堀兵次おしべ・めしべを持ちながら樫干しにしますが、私の経験では、子ができず、繁殖はすべて地下茎梅雨時には干し上げが雑かしいのまかせと、変わった性質の植物、で、梅雨期の末期でまだ花のある生の全草には特異な臭気があると時期に採取し、水洗い後、束にしころから、毒溜めといわれていまて三日ほど干し、露がなくなったしたが、これがドクダミに変わっところで細かく刻み、日干しにすたとか。大棚本尊には、わが国のればきれいに干し上がります。馬医がドクダミを場に用いると十ドクダミの薬効は、化濃性腫れ種の薬効があるといったところかもの・利尿・便通・高血圧予防・ら十薬(ジューヤグ)の名が生ま美肌です。化濃性腫れものには生れたと記されています。葉を用いますが、その他はすべて採取時期は五・六月の梅雨時で煎用します。花が咲いている時期が妓適、根もさて私は、昭和二十三年にシベ含めて全草を採取、水洗いして日リヤから復員し、実家に栗毛の鰐樫んで新年のおよろこびを申しあげます。戦後四十年が過ぎました。一十カナダ|、アメ唯力の多くの人々とじかにふれ合うことができ、生涯I青少年相談員の声I〈薬草よもやま話〉ドクダミさんありがシごっ青少年に希望と自信を石塚一金長俊介年代、二十年代の混乱期をすぎ、四十年代から五十年代と、世界でも頚を見ない高度成長をとげ、経忘れることのない素晴らしい収穫となりました。済大国になりました。日本人の勤勉さと研究心の成果だと思います。この間、私たちはあまりの多忙さに追われ、物質的な面を優先してきたことはどなたもいなめない事実だと思われます。昨今の青少年のいじめ、その他の問題も、人と人、つまり友達、親子、まわりの人との心のつながりが不足していたからではなかつがおりましたので、暇を見つけては素肌の馬に乗り歩いておりましたが、その冬のこと、ふくらはぎと大腿部の内側にかゆみを覚えました。その後、冬になるとかゆみ、痛みを覚え、春になると治ってしまうという状態が三十四年間も続き、年々悪化してきました。市内の皮膚科でも治らず、漢方薬店で買い求めたこう源という薬は、一時薬効がありましたが根治にはいたりませんでした。復員後三十七年、根治したのはやっと三年前、昭和五十七年でした。一時は家族への感染を恐れ、入浴も散後にするなど苦労してきました。さきに、媒舷について申しあげましたが、若いころから高血圧に悩まされ、五十三年ごろから薬草この機会を与えてくださ(一た方方に心から感謝申I)あげます。たかと思われてなりません壷相手に対する思いやり、心のつながりほど強いものはないと思います。希望そして自信をもたせることができたなら、青少年をとりまく猪問題も、自づと少なくなると確信しています。今年も努力してまいります。皆様のご協力をお願いいたしますとともにご健康ご多幸を祈念いたします。を煎用してまいりました。ドクダ《ミ、赤芽柏、柿の皮、柿の葉やへ一夕、山桑の葉等五から六種を煎じ亜て用いてきました。私の高血圧も》媒弦といった称質の改善ができて亜非常に快適に毎日をすごしてまい}すが、この皮膚病を根治してくれ》たのがドクダミと赤芽柏であるこ叩とは確信しております。ドクダミ印の効能は前述のとおりです。赤芽亜柏の薬効は〃切らずに治す腫れも函の薬,として用いられています。亜胃かいようには樹皮を、また腫れ配ものには乾燥した葉を煎用しますfこのドクダミと赤芽柏か三十有余、年悩みに悩んだ私の皮膚病を根治、してくれたのです。磯野富永トシイ筆が矧繊歴書xxxxxxxxたまった不澗を一掃して、気分をすっきりさせることを「溜飲を下げる」といいます。「新年早々、宿敵を大差で破って溜飲を下げた」といった使い方をします。この「溜飲」は、わが国鹸古の医普「医心方」(十世紀末)にもある病名。胃の調子が悪く、胸やけや胸づかえを併って酸性のおくびが出る症状をさします。夏目赦石の「坊ちゃん」に「きまった所へ出ると、急に溜飲が起り島叫や汐テこって咽喉の所へ、大きな丸が上がって未て言葉が出ない」とあるのもそれです。LLf「溜飲」に近いのは「虫酸」で、Lo-T胃から出てくる酸性の液。「虫唾」とも当くのは、胃液が上がってくるとき、その前触れとして口中に生ずる唾液とする見かたによるものでしょう。「虫酸が上る」は、虫が行きつ戻りつするように、すっぱい液があたりを上下するためにむかつくさま。不快なときに「思い出しても虫酸が走る」などといいます。「虫酸が走る」ほどいやなやつをやっつければ「溜飲を下げる」ことになるわけです。溜飲を下げる''9広報じようほく-151-

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