広報じょうほく No.274 1985(昭和60)年 9月
11/14

もの思ひゐで流燈に追ひ越され今瀬剛一朝曇父となりたる第一歩荒井煩雨ひとムで秋天へ一筆に書く流れ雲加藤鉦好中うばくし&対岸へ船のふくらむ夕薄暑原勝男どこ見ても日が真上なり夏帽子綿引英子庭芝生みどり深めて児等を待つ飯村愛子地下足袋がぱりっと乾く炎暑なり長須きみのか。“と音たてて体当りする兜虫飯嶋とみ雨足をつっ走りぬけ虹と会ふ瀬谷博子必E薬売り眼より汗出て土誰りいそべきよ白蓮の咲く田を朝の色と決め阿久津あい子きびきびと仲居の動作西日浸し高橋芦江ねむり浅き耳にちちろの声揃ふ吉元つる代亡母の夢のつづきが見たい茄子の花浅野菊枝し好評を博して終了したチャリティカラオケ大会夏休み母校の門は海へひらく竹内幸子千汽週影にも喜怒あるを知る青簾鈴木静枝善意のともし{びありあまる力おさへて踊りの轄鰹測寿美恵〈城北句会選〉◎二一七六○円那珂西三区ひかり子供会代表大越泰照様恒例となった夏祭りチャリティ事業の売上金を預託されました。◎一○○、○○○円チャリティカラオケ大会代表綿引英治様チャリティカラオケ大会を開催し、その益金を預託したものです。◎五○、○○○円上青山荒川幸雄様亡母すむさんの葬儀の際の香典の一部を預託されました。◎一三、九○○円常北町役場職員組合様自動販売機の販売手数料を預託されました。◎石けん二十三箱匿名希望老人福祉センターへ寄贈されました。臣==F璽苗そ垂言冠'員淫…d善=琴■中華…。-,-審…延昇…且…型'0卯・'-,.4辱矛寺F酔AF凸…奇一ヶ、…両軍…~砦=笛亀=ごワーーニ。,君琴~か…~垂掘=~dpF-忌一一屋一一一一=;シートベルト締める一秒守る一生幸一台風手形鞭という言葉が流行したことがあります。七ケ月も先でなければ現金にならない手形を、台風の襲来しやすいといわれた二百十日にひっかけてこう言ったものです。昔は、立春から数えて二百十日目、すなわち、九月一日か二日に台風が襲来しやすいとされていました。しかし、最近の統計では、むしろ強い台風の来やすい特異日は、九月十七日とか九月二十六日などといわれています。昭和三十年代の半ばごろまでは、台風による大きな被害が目立ち、なかでも死者行方不明者が五千人を超した伊勢湾台風な雲台風業がすすみ、防災体制も整備さ毎毎年九月一日は防災の日です。》そして、その前後、八月三十日一から九月五日は防災週間です。》家庭では、日ごろの備えを点検)するとともに、家族防災会議を一の防災訓練等に積極的に参加し》一画渥町ご==骨竺舎客産缶一=~司一_が一品.聖や~2~一--.-Fr詫'--時今=琴,吋昼-』・マ〃ーロテーー画一"唾!一一’一一'11広報じようぼく-103-

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です