広報じょうほく No.267 1985(昭和60)年 2月
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驚一無土器時代に端を発した当地方は、明治二十二年四月一日、町村制の施行に際し、石塚村、小松村、西郷村が生まれ、そのなかでも、常北町誕生洲周年ざ蝉孝溌盛大に記念式典を挙行錘蕊癖蕊蝿戦鋤ハー驚錘R垂穏譲f-3珊溌謬鯉測氏名誉石塚村は大正八年十月一日町制をしき、そして、昭和三十年二月十一日、前記三町村が合併し、新たに常北町として発足したのでした。▲盛会だった記念式典式場三●一●●.壷を迎えた常北町は、今、第二次総合計画を指針として、ひらけゆく田園都市を目途として官民一体となった努力が続けられており、その発展ぶりには目ざましいものがあります。去る二月十一日には、常北町誕生三十周年を祝う記念式典が、新装成った「農業者健康管理トレーニングセンター」の柿落としを兼ねて、同センターで盛大に挙行されました。また、常北町名誉町民条例(昭和五十年四月一日・条例第六号)による、初の名誉町民が誕生しました。常北町をはじめ、こ町民に推挙の地方の発展のために、かずかずのご功績を残されている、上古内にお住まいの鯉測丈男氏に、名誉町民の称号が贈られたものです。去る二月十一日の常北町誕生三十周年記念式典の席上、称号の贈呈式が挙行されましたので、氏のご功績の概要をご紹介します。常北町名誉町民鯉測丈男氏明治四十四年四月五日生、功頼の撮要伊贈呈された推挙状昭和三年、水戸農学校を卒業以来現在まで農林業に従事し、昭和八年から昭和十五年三月まで茨城県農産物検査所に奉職し、昭和十五年四月、東茨城郡西郷村産業組合理事として就任以来、一貫して農業団体の要職にあって糟励し、今日の県内農協の繁栄を築いた。昭和二十二年四月、氏の人柄手腕力量が住民から高く評価され、推されて西郷村村長に選任され「町村合併促進法」により、常北合併まで二期にわたり地方自治行政に活躍し、戦後の混乱期における民心の安定と食糧の供給確保に貢献された功績は大きい。特に、合併に至るまでの道のりq表彰状を受ける代表者大貫氏は決して平担ではなく、好余曲折を重ね、昼夜をわかたぬ努力により大同団結をみたものであり、当時、常北町長職務執行者を努められ、種々の問題を解決して合併に導いたことは、住民から高く評価されている。また、昭和三十七年には城北畜産連合会を設立して、事務所、セリ市場を建設し、和牛主産地づくりに努力され、現在でも会長として具北畜産振興に尽力されている。さらに、西郷村及び常北町の農業委員会、また茨城県農業会議副会長も努められ、農政振興についても大きな業績を残された。昭和四十二年以来、茨城県農業観測・総合開発・固定資産評価各審議会会長、公害対策・農政・水質対策・県史編さん・原子力・国↑土利用等審議委員と、それぞれの分野で適切なる審議を行い、特に総合開発審議会会長も努め、第一次県総合開発計画、第一次県民福祉基本計画を策定するなど、県政の指針をつくられた功績は広く県民から尊崇され、自治振興に貢献されている。昭和五十四年十月からは常北町総合計画審議会の会長を努め、町の今後の指針となるべく第二次総合計画基本構想の樹立に大きく貢献された。また、昭和三十年四月には、茨城県議会議員に選出され、三期十常北娠斗学万博を成功さ患る会広報じようほく4-14-
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