広報じょうほく No.251 1983(昭和58)年 12月
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国連総長からメッセージ届く第二次世界大戦は五六○○万人き共通の基準」を宣言することとを超える犠牲者を出した悲惨な出しました。来事でした。これが、昭和二十三年十二月十この戦争で世界中の人々が苦し日に国際連合の第三回総会で採択みましたが、その苦しみの中から、された「世界人権宣言」です。基本的人権が確立されていないか今年は、世界人権宣言が採択さら戦争が起きたのだ、ということれてから三十五年目に当たります。が理解され、その重要性が再認識我が国でも、全国各地で記念行されました。事が行われますが、この機会に、そこで、第二次世界大戦が終結第二次世界大戦という悲惨な出来に向うと「一生のうちに二度まで事への反省のなかから世界人権宣言語に絶する悲哀を人類に与えた言が生まれてきた、ということを戦争の惨害から将来の世代を救う」改めて考え、基本的人権の重み、ために「国際の平和及び安全を維尊さを再度確認したいものです。持し、人権及び基本的自由を尊重それでは、世界人権宣言三十五するように助長奨励する」ことを周年を記念して蕊国連事務総長か目的とした国際連合が設けられまら日本国民あてにメッセージが寄した。せられていますのでご招介します。国際連合は、その最初の仕事の、メッセージ一つとして「人権の無視及び軽侮人権の擁護は、人類共通の課題が、人類の良心を踏みにじった野であります。それには国境はあり蛮行為をもたらした」という認識ません。そして、また、それは、のもとに「人類社会のすべての鱗国連に課せられた重要かつ永続的成員の固有の尊厳と平等で譲るこな使命であります。とのできない権利とを承認するこ我々すべてが取り組んでいる人とは、世界における自由、正義及権の擁護は、一般市民、非政府機ぴ平和の基礎である」ので、基本関、政府そして国運の巾広い、ま的人権を確保するために「すべてた、絶ゆまぬ努力を必要とする問の人民とすべての国どが達成すべ題であります。そして、これらの『一吋離弐蹄苧猟烹ぐぷ瓢悪食醜悪く・奪郵蕊奪・・、守●・幾熟幾恥鋸詮恐詠蕊撰騨緋謎融諜恕燃畿尋識職闘轍珊r、努力力成果をあぽまた一般計民が、個人としてあるいは共同して人権を擁護するための役割を果たすためには、人権の基準がすべての国の人々により良く知られるようにすることが極めて重要であります。人権の分野における国連の目的は、国連の努力が国家レベル及び地方レベルで支持されない限り成し遂げることはできません。それゆえに、私は、世界人権三十五周年を機会に、日本において、人々の人権を確保すべく想像力あふれた努力がなされていることに深い満足を覚えるものであります。私は、この賞賛に値する努力にかかわるすべての人々に対してお祝い申し上げるとともに、この努力が、日本における人権意識の高揚に実質的な貢献を行い、また、国際及び地方の両面において等しく人権の高揚に寄与することを期待するものであります。譲り零譲信一ハビエル・ペレス・デクエヤ,(署名〉一一正ロム■幸一健康生活の確立を一に奉峰”唾唾率錘率和銅碑》》可確雫翫蝿確瀞裡蓉嘩確率つい一搾一》録録》》帝坐畢》》訓唖舞蹄》》神》》》霊》蹄》髄》一寂蝿道な活動が展開されていま・境衛生、計画栽培、一般教養と巾広い分野で研修しており、や一去る十月三十日には、この食がては実践活動を通して食生活生活改善推進員の養成講座が町改善事業のリーダーとしてご活公民館において行われ、保健所躍を願うことになっています。の栄養士さんや町の保健婦さん函一エZ_一角五1民生(児童)委員の任期満了に伴う改選が行われ、このほど、次の方々が厚生大臣並びに茨城県知事より、十二月一日付けで委嘱状が交付されました。なお、今回改選された民生委員全員に、町長から福祉委員の委嘱状も同時に交付されました。このたび退任されました江幡久さんにおかれましては、長い間、民生委員、児童委員として、本町の福祉増進のためにご貢献いただき深く感謝申しあげます。併せて、戸司民生委員ガ改選に新しく就任されました綿引治さんの、今後のご活躍をお願いするものです。、民生委員名簿(敬称略)▼石塚大畠千鶴子内藤哲夫戸崎長子柏文枝岡崎つきい飯村愛子片根栄子▼那珂西一木操小山あき▼上泉Lr詞一言巧一画一ユローェ官=1”?ー酎匡P1ユーアアー▲e~一候岬杢耳命画・菅啓MH車廼一B■qザョQ5-d幽一-796-常北町科学方南を成功さぜる会“鍵.広報じようほぐ:B■

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