広報じょうほく No.250 1983(昭和58)年 11月
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入日が夕空を茜色に染めてたそがれが静かに田園を包み、夕べを告げる晩鐘を聞きながら、今日一日、健やかで無事に働くことができた感謝の祈りを神に捧げる夫婦の農夫の姿を描いた、世界的に有名なミレーの「晩鐘」という絵がありますが、この情景を私なりに胸に描いて、この絵のように、みんなが働くことを喜び、感謝の気持ちで毎日を過ごせたらどんなによいことだろうと思っています。日本は今、有史以来の繁栄の中にあり、住宅にしても、老屋が建てかえられ、明るいデザインを装った家が軒を並べ、家具にしてもF~。思心やりと感謝一と感謝嬢舞灘静幾上入野猿田正一数の餓死者が出たという、いわくカラーテレビ、クーラー、冷蔵庫、人間が飢えるということが、ど町には車があふれ、店には四季感んなにつらいことか、栄養失調でを失うほどの季節はずれの果物等マラリヤ患者が続出して、高熱にと地方の変りがなく華美になり、死んでいった戦友、飢えると生命食糧も生産調整するほど豊富で、を保とうとする本能のみが働いてまさに物質万能時代といっても過考えは食べるということばかり、しかし、物の豊かさはあってももっとひどくなると、期日をきっ心の豊かさを失ってはいないだろて配給され、補給のつかない食糧うか、今一番大切なことは、‐物のを盗む、まさに戦友の血を吸うこコイを放流いう餓死者が出ているエチオピヤ一る大きな事業のひとつに放流事業の悲惨な様子がテレビで放映され一があります。がありますが、そこに四ケ月の短一十二万尾を放流しました。后とに等しいのですが夜蔭にじょうじて盗む者が出たりして、人も極度に飢えると、人間の誇りをすてて理性を失い動物化します。その苦しみは筆舌では表現できません。今世界には、エチオピアばかりでなく、カンボジア、ベトナム、バングラデシュ等、食糧不足や物資不足の国が多くありますが、現在の私たちの恵まれた生活と比較しつつ一粒の米、一枚のパンを口にするとき、幾多の手を経てできた物に対し、有りがたい、もったいないと感謝の気持ちを忘れないようにしなければならはいと思います。常北町民憲章の中に「思いやり一の心」があげられていますが、思いやりと感謝は表裏一体であり、思いやりがあるから感謝の心が生じ、感謝の心があるから思いやりが生じるのです。自分さえよければ周りはどうでもよいとする考えでは、これからの社会はよくなるはずがありません。もっともっと思いやりと他人の痛みを理解し、すべてのものに感謝する心でみんな震が生活できたら、どんなにか世の中が明るくなることだろうと恩患一▲放流されるコイの大群81常北町科学万博を成功させる会広報じようほく-790-
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