広報じょうほく No.250 1983(昭和58)年 11月
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二衣帯水」二筋の帯を延ばしたような狭い水の流れを隔てて近接すること。)という言葉を、日中両国の関係を示すときに中国人は好んで使う。なんて大らかな心を持った民族なのだろう。東京と北京、地図上でも約二千キロも離れ、我々日本人にとって狭い水の隔たりなどとは考えも及ばない。この近くて遠い国中国へ私は訪れた。十月十九日から三十一日までの十三日間、「茨城県青年の船」の団員として三百九十一名の仲間と、船内、現地での生活を共にしたのである。中国での生活は、すべてにわたり初めての体験で驚きの連続だった。まず、四方見渡す限りの地平線に国の雄大さを覚え、去る十月十九日に鹿島港を出港した一茨城県青年の船」団員一行は、十月三十一日、無事に日立港に帰港しました。これは、中国の長い歴史と伝統に培われた生活文化や広大な大自然に接する中で、中国青年との相互交流、船内研修をとおして、広い視野に立ったリーダーの養成をはかる目的で、県、市町村、県青年団体連盟が主催したもので、本町からは、下青山の所正彦さんが参加しました。それでは、所さんの感想文がよせられましたのでご紹介します。一青年の船」を振り返ってF、L+'県青年の船帰港人と自転車の余りの多さに圧倒さ今れた。訪れた史跡・名勝に当時の●文化を偲び、歴史の重みを感じた。また、学校・工場・人民公社等の見学、交歓会では、中国青年たちと親しく友好を深めることができた。しかしながら、国家体制・主義主張の違いは否めなかった。教育の隅々にまでそれが一貫して徹底されているのである。私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。現地での五日間は、新しい体験と同時に日本のよさを再認識する期間ともなった。一方、船内での生活は、人間関係の形成という面において多くの収穫を得た.。多くの仲間たちとの交流、人生経験豊かな老船長との出会い、県知事とのナマの対話等々、どれ一つをとっても楽しい一時だった。しかし、決して楽しい▲天津市水上公園前に立つ所さんことばか温雷や.ではなか言マキ船ともう密閉された空間ゆえに生ずる問題もあった。避けて通れない。相手に理解してもらいたいと誠意を尽しても、真意が通じないもどかしさを感じたこともあった。反面、周囲の仲間たちと相手のために心を砕き腹を割って意見を出し合ったとき、彼らの暖かいものに触れて紳が深まっていった。このように、青年の船は数々の町立青山小学校の改築に伴ない旧校舎の公売を行います。ご希望の方は、次の方法で売却いたしますので、物件熟覧のうえ入札してください。竜売渡物件の所在地常北町上青山四一○▼売渡物件の種類と面稜青山小学校校舎木造二階建瓦葺三七二㎡▼入札及び開札の日時昭和五十八年十二月二日午後二時▼入札及び開札の場所常北町教育委員会▽入札保証金なし▼契約保証金。青山J公売公告契約時に落札価格の百分α十以上現金で納入すること。▼郵便入札認めない▼代金納入年月日昭和五十八年十二月六日まで▼落札の条件落札後のとりこわLについては、教育委員会の指示に従うこと。▽その他現場案内、その他不明の点については、常北町教育委員会におたずねください。電三一二内線四○.貴重狂体験を通して自分に1ろいろなことを教えてくれた。その一つ一つを見つめながら、これからの自分がどうあるべきかを考えてみたい。また、次回の船に向けて、一人でも多くの青年が何らかの目的をもってこの船に乗り、中国青年との友好を深め、自分自身を研鍛することができれば素晴らしいと思う。一'5広報じようほく成功させよう科学万博つくば'851-787-

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