広報じょうほく No.239 1983(昭和58)年 1月
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---牛善抜く地の息とあふ人の息今瀬剛一や破れ芭蕉騒げり月のなるなしに荒井煩雨木の実拾う我にかへれぱ山さびし小貫まさをあめ寒木をゆづる世代の新添木加藤鉦好張り替えし障子ましろに糸切歯鯉測寿美恵子等帰りどこからともなく寒くなる見持多美子改正のたびに、印刷した新しい時刻表が駅などに置いてある場合もありますが、もらいそこなうと、わざわざ書き写さなけ一時刻表は溝婿撫謹雛喝鍔繍一写真に撮る蝦剰す.一度おためしくだ一一いつも利用する電車の時刻表、、八凱診11-F司1.木の葉舞ふ空はますます他人めく飯村愛子支流にも灯りのゆるる蛙の秋高橋芦江会場もすっぽりと秋絵画展綿引英子とうこう§で冬耕の後手に陽を引っぱって寺山みさを初氷の上にきらきら待ち時間杉山幸子他愛なきうわさ流れて長き夜飯嶋とみつ2のづも御仏の亡夫似と見たり冬野面瀬谷博子さらさらと土すべり落つ囲ひ葱いそくきよ一言も発せず九官鳥寒し原勝男‐-一やPー、-絶海へ木枯し手皇狸阿抜I袴塚末子つ里静かなる夫の寝息や冬銀河鈴木静枝想ひ出の糸をつないでセーター編む浅野菊枝つ・与今妙岩影の氷柱地脈に生きし色長須きみの散り残す葉も少しあり山眠る阿久津あい子日向ぽこ話し聞き役ねむくなり吉元つる代晩秋に葬花の列を長くせり大津ひさと〈城北句会選〉第三日曜日は家庭の日◎日記を-1雪新年をむかえて一年の目標をたてる。・家族みんなで生活の設定・成人の日。食生活・火の用心常北町新生活運動推進協識会識薙:鶏騨識鷺騒一出初め式」には年の初めに行うさまざまな〃事始め〃の意味がありますが、一般には、消防出初め式がよく知られています。わが国の本格的な消防組織の始まりは、江戸の明暦の大火(一六五七)の翌年に徳川幕府が設けた、江戸の消防組織「定火消(じようぴけし〉だといわれています。この定火消が、万治元年(一六五九年)一月四日、江戸上野の東照宮前で、初めての顔見せ出初め式を行いました。この日にちなんで、東京では明治時代には一月四日に、その後、大正五年からは一月六日(途中十五日になったこともあります)に行われるようになり、現在に至っています。いまや新春を告げる風物詩の一つと霧っ潅出初鐘裁l鐘葬急r面出初め式年、各自治体で、それぞれ独自の行事が行われています。なかでも、いちばん規模の大きいのが東京の出初め式。かつて、火事は「江戸の華」といわれただけあって、消防庁職員のほかに、江戸消防記念会のメンバーが参加し「はしご乗り」や「木やり」など、江戸時代から伝わる伝統的な火消しの妙技などが披露されます。こうした、江戸時代の風物を懐かしむ観客のなかには、いわゆるカーマニアもかなりいます。ポンプ車、化学消防、屈折放水塔車などの車輔や、消防艇、ヘリコプターなど最新鋭の装備を施した乗り物が一同に会するからです。伝統的な技法と現代の科学の峰とl錨緬鎗識建著書にとっても大きな魅力のようです。一醗癖識癖矛罰鶴織識甑導蹴錘鱈麺羅§溌蕊溌議禰蕊藤認識!…“3避登蕊広報じようぼく鎖建‘4.零。‘・一…、:シ瀧一一~言蕊蕊蕊鶏評議簿譲謝-3塁一唱合必ゆり巽曇唾-659-

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