広報じょうほく No.237 1982(昭和57)年 12月
8/14

小坂神社の神像催一昨●年十一月の、茨城県教育委員会の『近世社寺調査」において、東京都立大学一色史彦先生が確認して以来、いはらき新聞にも掲載報道されてきましたが、常北町教育委員会ではさらに調査をすすめ、茨城県歴史館仏教美術専門の、後藤道雄先生に鑑定を依頼したところ、神像としては、県内で知られている新治郡桜村の体身(すがたみ)神社にあるもの(県指定文化財)より古く、在銘神像では最古であり、美術的にも貴重であることがわかり一小坂神社の神像ガ町指定有形文化財に、唐門(小松寺)昭和唖年哩月”日指定この門は、建久二丙成年、肥後ました“|常北町では、こうした鑑定に基づき、常北町文化財保護条例第四条の定めるところにより、町指定有形文化財に指定したものです。これで、町指定有形文化財は九件となりました。町指定文化財紹介一△今回新たに指定された神像守正貞能法印小松以典が、京都小松谷平重盛公邸宅にあった勅使門を模造作成したもので、その名を両唐破風中将門と名づけられているが、建築様式からは、向う唐門といいます。⑤観音堂(小松寺)昭和印年3月3日指定形式は三間四方、屋根は入母屋二m九造りで銅板葺、本来は柿葺であった。建造は建久五丙丑年と伝えられているが、江戸時代中期との一説もあります。◎蛇彫り観音(小松寺)昭和”年理月”日指定観音堂に鎮座する御本尊で、十一面観世音、いわゆる蛇彫り観音で、一木一刀蛇彫りで、御身丈七尺五寸三分の立像であります。③宝匡印塔(清音寺)・昭和“年哩月”日指定清音寺法僧の墓石で、三基並立しており、三基とも南北朝時代の建立といわれるいるが一四世紀中頃とも推定されています。、十二神将軍(薬師寺)昭和“年哩月”日指定薬師如来に属し、仏教の行者を守護する十二の夜叉大将です。@刀剣(袴塚誠氏蔵)昭和訓年3月3日指定市毛徳鄭の作で郷土の代表作といわれています。@両界受茶羅(宝憧院)S諏・7.馴指、香象(宝憧院)S諏・7・塑指冠婚葬祭の簡素化運動をすすめよう常北町新生活運動推進協議会近年、特にエスカレートしつつある冠婚葬祭については、家庭経(7)知らせは、郵送、電話、電報等を利用し、済をも大きく圧迫しているのが現状であります。つげ人は町内のみとする。新生活運動推進協議会では、明るく住みよい郷土づくりの一環(8)お手伝様への貼紙はしない。として冠婚葬祭の簡素化にとりくみ下記のような実践事項を申し※葬儀については、住民課に簡素化用紙、並び立合わせしました。看板を用意してありますのでご利用下さい。つきましては、地域住民の皆様がたのご理解とご協力を賜わり3.追善について(法事.法要)これが実践化にご努力願います。記(1)香料は、1,000円以内とする。(近親者は除く。,(2)引き物は、廃止する。1.病気見舞について4.結婚式についてID見舞金は、1,000円以内とする。(近親者は除く。)(2)見舞先は、自宅とする。(〃)(1)祝金は、3,000円ないし5,000円以内とする。(3)快気祝は、廃止。但し礼状はその限りでない。.(2)披露宴等は極力簡素化し、引き物は廃止する2.葬儀について5.上棟式について(1)花輪は、3基以内とする。(ポスターは、その限りでない。)(1)祝金は、2,000円以内とする。(近親者は除く。,(2)生花は、1対以内とする。(2)引き物は、廃止する。|#議蕊熊駕駕墓1昭和55年ワ月1日より実施一広報じようぼく81-644-

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です