広報じょうほく No.237 1982(昭和57)年 12月
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船をお一恥.・て早←もの↓くもう三ケ月ほど経つ。今、思い出してもあの出来事は、私の脳裏に鮮やかに蘇ってくる。静かに目を閉じてみると、出会った仲間の声、顔、北海道の雄大な風景が次々に浮かんでくる。目頭がジーンとしてくるのに気づく。それほどこの旅は私にとって大きなものだった。私は廻班、体育レクリエーション係の班に入った。船上での集いの司会、運営、レク時間の計画や常北か三四名が乗船在学青年教育の一環として、県教育委員会が主催する茨城県高校生の船は、船を利用しての共同宿泊研修等、集団活動を通じて高校生相互の連帯感を深め、郷土愛と社会参加への意識を高め、高校生の調和ある人間形成とたくましく心豊かな青年の育成を目途として毎年行われています。定員三○○名のこの船には、常北町から§永山雅博さん(小坂)大畠邦博さん(石塚)関野茂樹さん、西野美奈子さん(那珂西)の四名が乗船、八月十七日から二十一日までの五日間、東北、北海道を一巡して船上研修を行い、大きな成果をあげてまいりました。今月は、四人の中からお二人にその感想をおよせいただきましたのでご紹介します。高校生の船に参加して‐運営などが自分たちの仕事《、船には高校生の仲間がたくさんいた。久しぶりの再会で楽しかったが、聞くとみな、この班を希望していたらしい。だから自分が、この班に入れたときは、とても嬉しかった。みんな応援してくれた。今思うと、理班は私が愛せる人たちばかりであった。運命とでも言うのだろうか、いい人たちに出会った。レクの内容が決まらず腹を立てたり、どなったりもした。最後の夜↑肩をくんでみんなで歌(↑た。|涙で目をうるませていた人もいた。あの夜のことは忘れられないだる』乱ノ◎船は今までに比べるとゆれなかったそうだが、初めての私たちにはとてもきつかった。が、これほど充実した日々を過ごしたのは久しぶりだった。周りはすべて青い海、青い空。一瞬、一瞬が輝いていた。時間に遅れないようみんなで協力し合ったり、朝、昼、夕のあいさつを先頭にたって行ったり。みんなで輪になって歌ったり、ゲームをしたり、ダンスをしたり、先生方と話したり、仲間と語り合ったり。学習活動の方では手話を習ったり、ゲーム指導法、うたづくりなどをしたり、とても充実した日々であった。障害をもった仲間もいた。でも特別扱いなどはしなかった。一緒に遊んで、踊って、耳が聞こえなくても心で通じた。目が見えない人もいた。将来はあんまさんになるそうで、今、勉この研修に参加した大きな目的は、自分をもって成長させたいということで、そのためには、研修か催がえのなし貴重な体験を通してまず人の役に立とうと思っていた。その念願がかなってか、希望通り特別班の一つである強中だそうだ曇とても明るくてしっかりしていた。自分がとても小さく思えてはずかしくなったことを覚えている。彼らも自分たちと同じ仲間なのである。何にも変わりやしない。そうそう、デッキからイルカが二、三頭飛びはねながら泳いでいるのを見た。海のイルカを見たのは初めてだ。苫小牧港に入港する時だったので、まるで私たちを歓迎しているように見えた。北海道、空は日本晴れ、縁の草原が地平線まで続き、やがて青い空に溶けてゆく、所々に牛、羊が群らがって寝ころんでいたり、草を食べたり、雄大であった。街の人も親切だったし、食べものも実においしかった。私は、船に乗れて本当によかった。仲間、そしてあの充実した日々、私は生涯忘れないであろう。お世話になった先生方、ありがとうございました。‐学習班に配属され又班の中でも狂長をつとめることが決まった。しかし、いざ実際に行動に移ってみると、自分の考えとは裏腹にいつも失敗ばかりして、うまく自分の個性をいかすことができず、なかば我武者羅にふるまってしまった。そんな中でも、一つ学ぶことができたと思う。それは未見の我ということ。自分のことは自分が一番よく知っていると言われるが、どうしてまだまだ自分自身でさえ認めていない自分の姿があるらしく、特にその世界の広さを、少しでも感じとれたことは、未開拓の自分を求める希望を与えてくれた。これは、一度聞いた話であるが、スポーツ選手でも、自分の限界から先が、新たに存在する新しい自分の世界なのだそうだ。そのような一面からも、この研修は、ぼくにとって心の旅路であったような気がする。又、片よった生活をしていた自分にとって、何よりも大きな収穫だったのは、多くの友人ができたことだ。時間的にも短かすぎるくらい話し合う時は少なかったけれども、対等に話し合い、意見の交流をもてたことは全くかけがいのない貴重な経験となった。他にも諸先生方の講義では、研修生に対するこれから先の人生において、有意義に時間を使うことなど、人生における成功の秘訣のアーヌ41広報じようぼく-640-
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