広報じょうほく No.233 1982(昭和57)年 8月
9/14
栃散るや足の先まで異邦人今瀬剛一青梅の青の極まりより雫荒井頒雨祭の子すぐに裸になりたがり小貫まさを炎天一…・で長時間連動や仕頚をした場合に起こる日射病は『脳の中枢に異常をきたして起こるこわい病気です。万一に備え、その症状、応急処蔵を覚えておきましよ』フ。主な症状は頭痛、吐き気、皮フの乾き、脈はくの異常(卯から伽以上)、高熱(調l娼度)顔の紅潮など。重症の場合は、意識がなくなり、けいれんを起こします。処置としては、まず病人を風通しのよい所へ静かに運び、衣服を脱がせ、吐き気が日射病の応急処置億参堵霊知識一あれば顔を横に向はて寝かせます。頭や首をむやみに動かしてはいけません。その後、全身を水でぬらして、あおいだりして身体を冷やします。調度ぐらいまで下がれば冷やすのをやめて、十分ごとに体温を計ります。上がってきたら、再び冷やします。同時に、症状に細心の注意を払い、小さなことでも医師に報告しましょう。山寺を一またぎして青嵐加藤鉦好青田道ぬけ来し朝の血の群き原勝男人形の髪結い終えて日焼の子袴塚末子ゼスチァを入れて通じる夏の旅飯村愛子流されてすぐ風にのる祭り笛綿引英子あじさいや人それぞれの鍵に見る高橋芦江しは、一一‐負ひし子の手に満開の濃紫陽花阿久津あい子時折りは雲と話して田草取寺山みさを杉山のこぼれ日が呼ぶ夏の蝶長須きみの〃インクイン陰の手に陰の太鼓の夏の寄席寺門美恵子旅の駅紫陽花咲きて安らぎぬ鈴木静枝.生きることようやく楽し青田風飯嶋とみかつ票7郭公のしきりに聞こえ茶事終る見持多美子昼寝児のあくびの頬に畳の目吉元つる代国外の汗生臭き便り受くいそべきよ夏蝶の止まりし花を切らずおく瀬谷博子趣娠の弾みは吾子の手のはづみ浅野菊枝波と歌が眠たくなりてソーダ水杉山幸子白き蝶舞いきて孫ら喜び追う大津ひさとまつすぐに峡の風呼ぶ夏帽子鯉測寿美恵〈城北句会選〉率轟毒…溌蕊霊葛…麹窪誌F鐘一向噛り"鉱印毎凸-5率雪質室召翠poz零・署睡琴鍛流弾殿…&鼻錘海垂準…l…鍾蕊率窪3藤璽錘霊¥涯唾牢溺壕…霊室翻奪群?撫調fqf聴.、……誉「虫』という字は、昔は〃熟〃と書いたんですってね。虫がいっぱいいたから虫の字を三つも誓いたのかしら………。と、ある小学生が言ったそうです。もう忘れかけている古い字ですが、なるほど虫がにぎやかに鳴いているようでもあり、ウジャウジャとうごめいているような感じでもあります。チンチンとかねをたたくように鳴くカネタタキ。ガチャガチャと馬がくつわを鳴らすような音をたてるクツワムシ。ウマオイは、スイッチョという音が、馬をしかる時に舌うちをする音と似ているからこの名があるとか。コオロギは〃肩させ裾させ年と鳴いて秋の深まりを知らせているのだとも言います。スズムシとマツムシの名は《平安時代には今と反対だったとか。確かに、チンチロリンとい箆貿藷》秋の虫。ラーマッムうの音は鈴みたして寺し、リーンリンというスズムシの音は松風を思わせますから、反対の方が良かったのかもしれません。風流な日本人は、昔から虫を愛していました。中世京都の嵯峨野辺りでは〃虫聞き“が年中行事になっていたとか。江戸時代には、虫売りが、格子の屋台に虫かごを下げて町を売り歩いていました。今、デパートの金魚売り場辺りで、スズムシ・マツムシ・クッウムシなどを売っていますが、虫売りは昔からあったのです。寛政年間二七八九’一八○二には、虫屋が人工飼育をしていたとも言われています。虫の音を愛(め)でる日本人の優雅な心を、いつまでも失いたくないものですね。r可L‐識-,世露3翠蜘躍趣錘薗聯……渥,#・…憎…蕊,誤塞昌垂罰選塞.>鯨垂罵蛍Z窪晩砂猫…ず噂劇輔X便零燕騨田齢溌訳班賢,唖"曾一回P則露、識:ご趨軒、、4網嘩需癖…簿遜壷澱琴…雪…一………黙騨塞藍…醜9広報じようぼく-585-
元のページ