広報じょうほく No.232 1982(昭和57)年 7月
12/14
増西の空に夕陽が沈み、あたりがうす暗くなった午俊七時、胸を踊らせて津部本郷公民館に入ると、玄関には、赤いカーネーションが飾られ、部屋の黒板には、大きく「お母さんありがとう」と書かれてあり、おおぜいの方が勢揃いしていました。これは、津部本郷の二十代、三十代の青年で組織されている「桜会」という会員のみなさんの、心あたたまる、お母さんへの感謝の気持ちで開いた、一月おくれの母の日のパーティーでした。五月は、田植えなどで忙しいので六月十日にしようと、以前から計画をたてていたそうです。会員のみなさんは、手づくりでたくさんのごちそうを作り、それはそれは、きれいに盛りつけられI寸描I心温まる母の日〆-テ《-【一井飯田美紀ており、心から歓迎してくれました。ビール、ジュース………次々についでまわられ、そのサービスのよいこと、こんなやさしい気持ちが、どこにかくされ持たれていたのだろうと思うほどの気の配りようでした。息子の肩ほどもない小さいお母さんたち、見上げるような息子とステージに立って歌う親子、宴たけなわともなると、お吸い物まで出してくださり、ほんとうに胸のつまる思いでした。最後は、自分の予供と手をつないで全員が丸くなり〃おててつないで〃の曲を合唱し、カーネーションのプレゼントをうけて帰路につきました。津部本郷には、このような後継者がいるということを、ほんとうに嬉しく思いました。とかくこのごろは、親などかえりみないという話もささやかれているとき、このような親への感謝の気持ちがあるということを知り、次代を担う若人の真の心にふれ、感激のあまり蕊をとった次第です。一一母親の中には、夕方早く帰宅章し、日峨日はいうまでもなく平一一日でも、子供とよく遊んでくれ誤る父親がいい父親だと思ってい↑棒る人がいます。自分たちの子供唾》だから、育児は二人の親が平等いq’一に時間を割くべきだと主張する.”人もいます。..このようなことを聞くと、子一一供が好きなのに仕事に追われて)“自宅にいる時間が少ない父親は農悲しくなります。なかには、罪》“責感にとらわれる人もいます。蝿率男性の生涯で三十代・四十代‐一というのは最も活力にあふれた.“充実した時期です。仕事の上で》《も重要な役割りを果たすように》なり、仕事そのものに生きがい一・を見いだすようにもなります。琴この年代のときに、毎晩六時◎一○,○○○円常北さっき同好会六月四・五日に町公民館で開催善意のともしび過ぎには帰宅している父親よりも、ときには深夜になってからでないと帰ってこない父親の方が、職業をもつ男性としては頼もしく、また、発展性があるのではないかと思います。いつも残業をしているわけではありません。親しい仲間と飲んだり遊んだりしていることもあります。異論があるかもしれませんが、多忙な父親1壮年・期の男性にはこのような時間が必要だと私は思います。この父親が、子供のことに全く無関心であるなら、多忙だというのは逃げ口上です。しかし爺早く帰宅をして子供の顔が見たいのに、それができないことがあります。父と子供の接触は量よりも質が大事です。いつも自宅にいるが不機嫌な父親よりもした同好会主催によるさつき展示会での、売上金の一部を預託されました。◎二○、○○○円カスミストアグループ(石塚)た↑まにI|か←か〕←かそのときは好機嫌な父親の方が、よほどいい影響を子供に与えます。平日が多忙な父親は、休日に十分子供と遊んでください。子供は自分の父について、ある印象をつくり、こんな人と思っています。これは、父から直接得た印象だけでなく、父の不在の折に、母親が子供に、夫のことをどう話すかによって、著しく左右されます。自分の夫のことを子供に悪く言う母親のもとで、いい家庭教育を期待するのは難しいこ.となのです。◎三・○○○円下古内田口義男氏善意により預託されたもので{ろあゆみの箱募金の一部を善意銀行に預託したものです。広報じようぼく1を-574-
元のページ