広報じょうほく No.227 1982(昭和57)年 2月
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仁とでて大きな存在てあ三一た友達どんな時でも、典子を支える友達が生まれてほしいと願う。そう、熊本市役所の試験の日のことも私の心から離れない。「友に勝る宝なし」というが、その通りである。典子は、夏のある日、広島へ行く。切符を買ってもらった。お昼を買ってもらい、食べさせてもらった。バックが落ちれば、拾ってもらった。私達にすれば、すぐ出来ること、自分でなにもかもが出来ること。ただそんな行動にも、言葉に表現できない勇気のいることだったにちがいない。私は、典子が広島へ行ったのは、この社会に対する挑戦だったような気がする。そう自分と社会とのこれからの戦いの前兆のような気がする。そのまず一歩は典子の勝利だったというわけだ。広島へ行き平和のシンボル「ハト」の翼の代わりに得たものは、希望の翼……。今から社会へはばたこうとしている鳥r一可なのだ御社会という一扉審たたVただけだ。しかし、ここまでの談み重ね、困難にも負けず戦いつづけた典子に、母に、いいえ、典子だけでない、典子のような境遇に苦しんでいる人達に、私達は今、この機会に、同情を越えた愛の手をさしのべるべきだと思う。生い気なことを言ってきましたが、私には両手があり、両足があり、生活に何不自由なく暮らしています。こんな自分に腹が立ち、くやしいばかりです。私には、両手、両足があるのです。両手、両足が……。典子にはないものを私はもっています。なのに、典子の十分の一の努力だってしたでしょうか。いいえ、二十分の一だって、百分の一だって努力したでしょうか。もう、これが限界だというまで、やったことがあるでしょうか。いつも失敗ばっかりしています。そそかしいと言うか、何というか、そのうち、長つづきせず、いつも△中学の部金賞の所文子さんr~可中途半端な私で、生活してきてしまいました。典子達に教えられました。私達には二本の手、足があることを……。そして、その重大さに、今、ただ鴬ろいています。私達は、典子の様な人びとを、入ごとのように言い、また見て来ました・宮沢賢治のいったように、私達が幸せだと言っているのは、偽わりの幸せにすぎないのです。ただ、そう思いこんでいるにすぎないのです。地位とお金があったからってどうでしょう。人びとを救うことはできないのです。私達が典子のような人達にどう接するかという心なのです。一人一人がもつ、暖かい心なのです。そして、また、その私達の心が、一人の、いいえ、たくさんの人を救うのです。そして、国際障害者年をきっかけに、私達の心を、あの典子の泳いだ、海のような偉大な広い心に、一致協力して広げてゆこうとする私達の穣極的な行動が必要なのです。また、このような機会に家族で話し合うことが大切だと思う。大人だから、子供だからといって人間のもっている喜怒哀楽はかわらない。心と心が交流するということは、自分の心を成長させるだけでなく、お互いにプラスになることだと思う。これからも、このように家族で話し合って行きたいと思っています。「タコ」あげや釣りには電線に注意しましょう近年、河胆の水質汚濁が大きな社会問題となっており、その原因の一つに、合成洗剤の使用がとりあげられています。今年度は、こうした洗剤の問題を中心に開催いたしますので、みなさん、ふるってご参加ください。▽日時二月二十四日(水)午前十時から午後三時▼場所町公民館宿直室▼主な相談事項・身体障害者手帳相談指導・医療及び補装具の交付・修消費生活展を開催します■詞▽日時二月二十八日(日)午前九時か旦一蒔三十分▼会場町公民館ホール▼展示コーナー消費相談・電気・粉石けん使用・展示即売の各コーナーが設けられます。▼日用品交換会も開きます.理,家庭援護・年金、手当、共済制度・税金、公共料金等の減免・社会参加への促進・施設・学校.その他-東京電力一リ荊撫礎睡雲=蔓,霊阿壁…語誰鋒型"管Yv=響壁嬢露認壁惨騨…、f蝿蝿識琴"髄望謹認韓x輝雛窪砺琴徽』のと電聴霊癖z廿声マ毒言軍詮里薮Z砺癖鹸唖蜜'17広報じまうほ兵‘;。。";‐。、卑函“『灘蕊難琴皐§鱗蕊蕊嬢蕊蕊瀞鱗蕊議鍵灘鍵蕊謹琴霧蕊蕊議-507-
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