広報じょうほく No.227 1982(昭和57)年 2月
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生活はだらしかをく本当にはずかしい。典子さんが、何とか、小学校に入学出来た時、私は、自分のことのように喜び、また、その小学校の校長先生が、神様のように思えた。足で、スプーンを持って食事をし、鉛蕊を持って字を書く、服を着るのも、もちろん足だ。私には、典子さんの足が、どんなにすばらしい手より、尊い物に見えた。どんなに習字がうまい人の手よりも、どんなにすばらしいピアノをひく人の手よりも、そして、典子さんを育てた母親も、日本一、世界一の母親に思えた。典子さんは、今も郷里の役所で働いている。足で、書類を分け、母親の雌大さと、自由に体が動かなくても、それに心まで縛られていない典子の心の広さに私は筋ろいた。家族の話し合いの中でも、母親の偉大さに、そして、典子の明るさに感動の言葉が出た。腕のないことに背を向けず、ぶつかっていくこの親子、母の暖かさが典子をつつむ。私は、「足を器用に使えることを、うの「典子は今」を見て常北中三年所文子一ぽれてはしにない〕典一・一・|に.》三・でそれは、あたりまえのことなんだ」と言った母親の言葉を雛った。なにもそこまで言わなくてもと思った。私は、完全に典子に同傭していた。典子の周りの人達は、同情を越えた愛があり、思いやりがある。同情を越えた愛や思いやりとは、苦しいからといって、すぐに手をさしのべず、時にはつき放し、時には暖かく支え、共に誰とも変と其一二〃の炭で》堰)もすかし,時仕蕊をしている。私はなによりも、典子さんの根性に、拍手を送り、その何分の一、何十分の一でもいいから、見習いたい。なぜなら、今の典子さんの笑顔の渡に、どんなつらい過去があるか、画面で、見せられたから。典子さんは、私の一生の手本になることだろう。でも私は、典子さんほどの苦労は、していない。今から、どんな、不幸な目に会っても、典子さんの苦労には、追いつけない。だが、私は、典子さんを一生の手本として、これから先も、見習い、うやまい、jくらしたい・一わらない生活を雫求めあうことだ.}と、私は教えられた。そして、同情を越えた愛や思いやりだからこそ、典子が安心してついてこられたのだと思う。本当に母親の偉大さに驚くばかりだ。宮沢賢治は、「世界が絶対に幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。」と言っている。私も同感だ。個人と全体の幸せが別別であってはいけない。人の幸びを喜び、人の悲しみを悲しめる人がひとりでも多くなってほしいと私は思う。そして、その中に典子▲代表で表彰状をうける小沼さん職傷病者及び戦没者遺族等に対すら援護については、関係法令等が年々改正され、その内容は複雑多岐になっています。このたび、県においては援誰業務巡回相談を開いて、援渡関係に疑問をおもちの方の相談に応ずることにいたしました。お気軽にご相談ください。▼日時二月二十六日(金)午前十時から午俊三時身障者相談所を開援護業務巡回相談▼場所茨城県遺族会館会議室(水戸京成ホテル東側)なお、当日は町役場担当者も出席します。▼主な相談事項・戦傷病者、戦没者遺族等援護法関係・戦傷病者特別援護法関係・恩給法関係・特別給付金関係・その他固定資産の縦覧期間を変更今年度の固定資産の縦覧期間は,例年と異なり,昭和57年4月1日から20日蓋でとなる見込みです。なお,詳細については,税法が改正され次第公示いたします。税務課設します…雪--鋤…………蝿詮rz”叩因宝Y塗*聯塁壁錘獣夢煙立、鼻憂-割…項Ⅱ.g="一懸垂.、霜蝿一編.、牢記,典“鎧.層一F面1.1F霜ご唖騨諏….ロード『W¥黙.蛸=縁5零i詩鍔鐸詔甲】悪.Bワ”広報じようほく16-506-

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