広報じょうほく No.227 1982(昭和57)年 2月
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》瀞わたし催.この世の中にこんなに不幸な人がいるなんて、話はきいていたが、これほど感動を受けた映画は、初めてです。まず第一に感動を受けたのは、典子の明るいすなおなことです。人は体に少し不自由なところがあるとすぐひがんだり、自分に負けたりするのに、典子さんは、常に自分を見失なわない、実にしっかりした人で、自分の考えをしっかりもち、明るい人でした。それにしても世の中の人が白い眼でみたり、いじめたりされたことがあったと思うけれども、よく明るくすなおな心を持ちつづけたものだと、本当に感動しました。私も、よく考えて生きていかなければならないと思います。「典子は今」を見て石塚小五年綿引早百合r一画次に感動したことは、常に努力し、向上することを忘れなかったことだと思います。両手がない悲しみ、手を使えないもどかしさ、不自由さ、どんなに典子も家庭も苦しんだろうと思います。足を両手のように使う、本当に典子や家庭の努力が胸につたわってくるような気がします。それにしても、足を手のように使う努力は口で言えないような努力があったと思います。足の器用さにはびっくりしたり感動したりしました。ごはんを食べたり、文字を書いたり、習字をしたり。そして、ロでドアを開けたり、両手のように使います。これまでになる努力は、本当にすばらしく、わ▲小学校5年・金賞の綿引早百合さん「司私は、最初一.この映画を見る気は、ありませんでした。母にRい映画だよ。お金を出してやるから、見ておいで。絶対.ためになるから」と言われて、半ば、いやいやながら、見に行きました。「手が無い人だから、すごく苦労したんだろうなあ。だけど私、そんなの、見たくないなあ」と、思っていました。私は、手がたしたち手のある人はを二一ともっと努力しなくてはいけないと思いました。さらに感動したことは、典子の母おもいのことです。デザイナー希望を、母の苦労を知って市役所につとめたこと。これは母さんに人一倍苦労をかけまいとする暖かい思いやりの心からそうしたのだと、私は考えます。本当に「典子は今」の映画を見て、私は、いろいろなことを学びました。人びとの親切のうれしさ、努力の尊さ尋そして家庭のあたたかさなどです。これらは、自分の心がけて作ったり、努力していかなければならないと思います。本当にこの映画を見てよかった一「典子は今』の映画を見て青山小六年信田紀子無いとか、足が無いとか、そんなのが、大きらいだったのです。もちろん、好きで生まれてきたわけじゃないし、そんな人たちを非難するのは、いけないことだと思いますが、目が不自由だったり、手足が思うように動かないとか、いう人は、いかにも、苦労して、本当に尊い人のように思い、私が、五体澗足でありながら、そうじをまじめにやらずに注意されたり、と思じます《》私は』この映画をもとにして、いろいろなことをしていかなければならないと思います。世界中いたるところに身体しよう害者や困っている人がいる。見かけたら、助けあったり、親切にしてやらなければならない。「典子は今」の映画を思いだすたびに、よくわからないが涙が出てきます。もっともっと多くの人にこの映画を見てもらいたいと私は思います。典子は今何をしているのだろうか。無事に市役所につとめているだろうか、ころんだりしないだろうか等と考えています。典子のがんばりと幸福を祈っています。r詞宿題を忘れておこられたりすることが、すごくみじめに思えたのです。この映画を見て、特にそう思いました。手が無いというだけで小学校に入れてもらえず、お母さんと、二人で泣きじゃくったシーンを見て「私は、なんて幸せなのだろうか」そして「典子さんは、どんなにつらい思いをしたのだろうか。」と思い、あとから、あとから、涙が出てきた。止まらなかった。同じ名でありながら、今までの私の涜頁へ〉聯闘一②慧鋤一報霧鰯武”零議r~、▲小学校6年・金賞の信田紀子さえ15広報じようほく一一-505-

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