広報じょうほく No.227 1982(昭和57)年 2月
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婁鴬蕊罵鐸雲雲雲霧雲馨慧昭和五十六年昨錘・は一国際障害者年」でした言町では“この国際障害者年を記念して.去る十二月二十五日、映画会を開催しました。全町民に参加を呼びかけ、また、町内の障害者五十名の方も招待し、勇気と自信を与え励ますための催しで、感動の名画『典子は今』の映画鑑賞を行ったものです。映画会終了後、町教育委員会では、町内の各小・中学校の児童生徒を対象に感想文の募集をしましたが、このほど‐その審査会が行われ入賞者が決まり、去る二月十一日の町民憲章制定記念式典の席上、次の方がたが表彰されました。それでは、入賞者のうち、第一位の金賞に輝いた四人の方の感想文をご紹介いたします。いまで。これらのことをやるのに「典子は今」を見ては、そうとうの努力が必驚と思う。でも、典子さんは、それをや青山小四年小沼みどりりとげた。そして、典子さんには根性がある。それにくらべると、私がこの映画を見て、一番感動とても典子さんのまねはできない私には根性がない。障害をもつ典したことは、両手がないという苦と思う。子さんより根性がないというこしみに向かって行き、それをのり典子さんは、なにをするにも足とだ。私は、自分がはずかしかこえる典子さんの勇気だ。私にはでやる。食事、歯みがき、顔あらった。一▲小学校4年・金賞の小沼みどりさん典子さんは最初一ふ(一うの今学校に入れてもらえなかった。手がないからだ。手がないからって、何がわるい。典子さんは、ふつうの女の子じゃないか。今できないことだって、いまにかならずできる。私はそう思った。ある日とつぜん、典子さんは「汽車に乗ってく」といいだした。お母さんは「どうしてキップをかうんだ」「どうして一人でおくん当が食べられる」といって大反対した。それでも典子さんは「やってみる、やってみる」と力強い声でいった・・あの力強さは、今でもわすれられない。いや、一生わすれられないだろう。駅の階だんを下りていく途中、典子さんはバックをおとした。そこで典子さんは、何人かの人に「バックをおとしたんです。すみませ.んが、ひろってください』とたのんだ。通りすぎていった人もあったが、親切な男の人がひろってくれた。きっぷ売場では、女の人が、きっぷをかつてくれた。世の中には、親切な人がたくさんいるんだなと思った。車内でおくん当を買おうとした典子さんは、となりにすわっていた若い男の人に「すみません、サンドイッチを買ってくださど・とたのんだ。本当に親切なその人は、たくさせてまでくれた。私は、よかったなと思った。目的地についた典子さんは、その人の家をたずね、、自殺していたことを知った。その人は、車いすにすわっている、障害をもつ人だ。典子さんのように、障害をもつ人は世界中にいる。でも私は典子さんのように明るく元気に生きていってほしい。生きている事が一番大切なのだから。広報じようぼく141-504-「典子は今」映画鑑賞感想文審査結昇票軍~巡'」、小小中1.2.一位(金AI,沼みど胸(晋山小綱引早百合(石塚小信田紀子(青I-Ll小所文子(3年二位(銀大愚利一子(石塚小樫村.秀一(小松小時崎佐知子(石塚小小林由香(1年三位〈銅武井律弓(小松小桑野則弓(青山小大越百合子(古内小i可合裕豪(2年佳作堀口知与(石塚小園部ゆか÷‘(小松小大竹章冒(小松小片恨昌遡(3年佳作長山1段臣(石塚小柄水光治(古I勾小'j、林留細(青山'j,川又由美子(1年佳竹阿久津純子(古内小1下博子(石塚小大海愉美子(祷山小i毎老恨節雄(1年
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